神戸大学大学院 経済学研究科・経済学部
胡 云芳 教授
歴史的円安でもコストは削減できる?貿易から見る「世界の中の日本」

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現代社会の経済は貿易なしでは語れません。

しかし、貿易には為替変動も深く関係するため、昨今の円安で打撃を受けて悩んでいる方も少なくないのではないでしょうか。

そこで今回は神戸大学の胡教授に、円安の影響をどう捉え、どのように向き合っていくべきかインタビューしました!

胡云芳教授

取材にご協力頂いた方

神戸大学経済学研究科教授 
胡 云芳(こ うんほう) 教授

1965年中国山東省生まれ。
清華大学応用数学学部卒業、神戸大学経済学研究科修了。中国人民大学講師、東北大学准教授を経て2014年より現職。専門は国際経済学、マクロ経済学。
執筆した学術論文は以下の通り。
“Flying or Trapped?”(2022, Economic Theory共著)、“Trade Structure and Belief-driven Fluctuations in Global Economy”(2013, Journal of International Economics共著)、 “Human Capital Accumulation, Home Production and Equilibrium Dynamics”(2008, Japanese Economic Review 単著)、 “Status-Seeking, Catching-Up
and Policy Effect Analysis in a Dynamic Heckscher-Ohlin Model”(2007, Review of Development Economics 共著)、「内生的成長と国際貿易」(2004,『国民経済雑誌』共
著)、その他。

目次

「貿易」とは世界経済とのつながり方のひとつ

エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):「貿易」は経済においてどのような役割を果たすのでしょうか?

胡教授:「貿易」とは「国際貿易」の略称です。

世界経済とのひとつのつながり方として、実物の財であったり、品物、観光などのサービスを相手国とやり取りすることを国際貿易と呼びます。個人的には、日本が第二次世界大戦以降、今のような世界経済大国になれたのは国際貿易のおかげだと思います。

日本は西洋諸国から先進技術が含まれた製品を輸入し、自国で大量生産できるようにしてきました。最初は紡績関連の割と簡単なものから始めて、だんだん複雑なものも扱うようになった。そして、日本で生産したものを輸出するという産業構造の変化を起こすことで、輸入・生産・輸出というパターンの経済発展を行ったのです。

EL:なるほど。確かにそう聞くと、日本が技術を発達させる過程では貿易が欠かせません。

胡教授:こうした経済発展のパターンは、赤松要氏によって1935年に発表された「雁行形態論」(”Flying Geese Model”)でまとめられています。そしてそれを発展させた小島清氏の「雁行型経済発展論」も同様に、非常に応用性がある成長の仕方なので、発展途上国には今でも役に立つ内容です。

最近共著者と一緒に書いた論文※の開放経済バージョンでは、10数ヵ国・地域の経済発展のデータに基づく、日本型の経済発展の事実を検証しました。

この研究では、海外直接投資を通じた外国からの先進技術の受入能力、吸収能力によって、当該国の経済発展への貢献度合いが変わることがわかりました。つまり、国際貿易や投資によって、成長性の高い地域とそうでない地域との差異を見ることが可能になったのです。

研究データからも、日本が大幅な経済成長を遂げたことに国際貿易が大きく影響した事実は疑いようがないといえるでしょう。

※「Hu, Kunieda, Nishimura, and Wang (2022) “Flying or trapped?” Economic Theory, Springer 」

EL:では、今後も日本経済は同じようなパターンでの経済発展をたどると考えられるのでしょうか?

胡教授:いえ、結論からいうと、先ほど挙げたようなパターンは現在の日本には当てはまりません。

なぜなら日本はもうすでに先進国であり、日本経済も世界最先端だからです。

もう海外から新しいものを学ぶことができない以上は、これまでの経済発展のパターンは成長に適していません。日本は国や企業として独自の新しい研究開発に投資したり、生産技術のフロンティアを推進しなければ、さらなる成長は見込めないわけです。

だからこそ、今後の日本が貿易を通して成長していくには、短期だけでなく長期の経済成長効果にも注目すべきだと考えています。

貿易は長期の経済成長効果を見なければならない

EL:貿易による長期の経済成長効果とは、具体的にはどのようなものなのでしょうか?

胡教授:短期の成長効果と長期の成長効果を考えるためには、まず貿易は立場によって見方が変わることを理解しておく必要があります。

いわゆる経済学者、特に国際経済を研究している人間によって、貿易のメリットはすでに証明されています。日本経済全体として、一国経済全体として貿易が良いことなのは紛れもない事実です。

しかし、貿易は全ての面において良いことばかりではありません。

例えば私たちが消費者として貿易を捉えるのであれば、外国で生産された品質の良い製品を安く買えることは嬉しいですよね。しかし、もし勤め先が外国から輸入した安価な製品との市場競争にさらされ、コスト削減やリストラを迫られれば、喜ぶ人はいないでしょう。

EL:確かに、消費者として見るのか経営の立場から見るのかで、貿易の是非は大きく変わってしまいますね。

胡教授:そうです。それこそ、貿易の自由化を評価する上で重要な「貿易の利益」の問題です。

「貿易の利益」は、国際貿易論の中でも最も重要な課題のひとつとされています。なぜ「貿易の利益」が問題になるかといえば、一般的には貿易が自国・相手国に利益をもたらすことが基本原理ですが、実際には全ての人に同時に利益をもたらすことはできないからです。だから1980年代の日米貿易摩擦や、現在の米中貿易摩擦のような問題もしばしば起こっていますよね。

昨今の急激な円安(※取材は2022年10月に実施)を例に挙げれば、仮にA社がコストを抑えた上で輸出を拡大を行えば、貿易によって世界市場で大きな利益を生むことができるでしょう。また、長い目で見た場合、こうした会社は積極的に研究開発を行い、自社の新製品を開発して日本経済に長期的な成長をもたらす効果も期待できます。

ただし、一方で輸入資源に重く依存するB社からすれば、円安によって必ず損失を被る。これはどうしても避けられませんよね。こちらは短期的な成長効果が得られない例で、短期成長ができなければ長期成も実現しません。

つまり、貿易によって損失を被る存在がいることを把握した上で、目の前のことを解決し、日本経済全体で見て長期成長効果が得られるような取り組みが必要なのです。

EL:短期成長効果を維持しつつ長期成長効果につなげるには、どのような対策を行えば良いのでしょうか?

胡教授:最も望ましいのは、やはり政府が何らか再分配施策を実施することです。

例えば、A社の利益をA社のみの研究開発にあてるのではなく、B社の短期成長を助けるために使えるようにする。A社からB社へ直接利益を分配することはできませんが、一時的な危機を乗り越えるために、政府を介して損失を補助するような仕組みを作ることが望ましいでしょう。

特に、大企業と中小企業とをわけて考えることは非常に重要です。例えばトヨタなどはアメリカを始めとする世界市場でも全然負けていません。なので、今の難しい時期にはむしろ中小企業の方に助成の目を向けるべきです。労働市場において最も貢献しているのは中小企業ですからね。

ただし、現状では政府による補助が期待できない企業も多いと思います。それに、中小企業の中でも輸出がメインか、輸入がメインかによって見方は異なるので、政府の支援だけでなく中小企業が自ら積極的に動くことも大切です。

円安によるコストを抑えるには選択肢を広く持つことが大切

EL:貿易によって苦境に立たされている中小企業が自ら打てる対策としては何が挙げられるか、についてもぜひ伺いたいです。

胡教授:そうですね。各企業が取るべき対策を考えるには、今の円安が貿易にどのような影響を与えているかを見る必要があるでしょう。

対ドルとして見た場合、短期効果としてはマイナスになる可能性が大きいので、乗り越えることがまず第一の目標となります。それから長期の成長効果も視野に入れ、国際人材の確保や世界市場と比較しての収入アップなどに取り組むべきです。

しかし、実は世界市場全体への影響を考えると対ドルが当てはまらない場合もあるんです。

私が整理した2021年の日本、EU、ロシアの貿易パターンの最新データでは、国際市場がアメリカや北米に限らないことが明らかです。ロシアに関しては特殊な状況(※インタビューは2022年10月に実施)なので、貿易への影響が大きくなっていることは否めないでしょう。しかしEU、あるいはアジア市場でも当てはまるのですが、すべての国の通貨に対して円安にはなっていません。中国の人民元に対しては少し円安の傾向も見られるものの、ドルに対する円安とはかけ離れているんです。

実際には、取引ではアメリカ・ドルで計算することも多いという悩みもあると思います。ですがそこでEUの取引先を開拓したり、取引通貨をユーロに変更するといった工夫を行うことで、損失を軽減できる可能性は高いといえるでしょう。

EL:ドル円にこだわらず様々な通貨での貿易を試みるべき、というのは非常に実践的なご指摘で、大変参考になります。

胡教授:それに、個人的には現在の円安も全てをマイナスに考える必要はないと思っています。

日本は1970年代に二度のオイルショックを経験して、それを乗り越えてきました。そして、オイルショックを契機にトヨタが世界一燃費の良い自動車を開発したように、現在の円安によるピンチは技術革新のチャンスと見ることもできます。また、国際生産ネットワークの構築によってリスク分散をするという方法が出てきたことも、新たなリスク分散の形として捉えることができます。

その上で今後は国際市場、特に中国という現在も成長し続けている巨大経済と、どう付き合っていくかは大きな課題となっていくと思います。まず、企業として中国市場を捨てることができるかどうか。捨てられないとしたら、積極的な交流や利益を生むような付き合い方が求められます。一方で、中国市場を捨てる決断をするのであれば、アフリカなど第三市場での協力可能性を模索することも大切です。

繰り返しますが、1970年代のオイルショックの経験から学べることはないか考え、IT技術を守りながら国際人材を活用し、積極的に海外進出を行うことが重要になるでしょう。

EL:なるほど。オイルショックがきっかけとなって大きく飛躍した企業があったことを考えれば、円安も何かの起爆剤になり得る可能性は大いにあるのですね。

日本の良さを保つためには成長し続けなければならない

胡教授:はい。むしろ、そうやって前向きに考えていかないとさらなる成長につながりません。

私はよくゼミ生に、「先生、日本は今のままでも良いじゃないですか。なんで成長しないといけないんですか」と聞かれるんですよ。

でも、成長しなければ「今のまま」ではいられません。今当たり前だと思うことを保つために、日本は成長しなければいけないんです。日本経済が成長しなければ国民は将来、年金がもらえなくなるし、全員を医療保険でカバーできなくなる可能性もあります。そういうことが、日本にいて環境に慣れていると感じにくくなってしまう。日本にいると、日本の良さが見えなくなっていくんです。

EL:先生は中国がご出身とのことですが、やはり海外から見てこそわかる日本の良さ、というものもあるのでしょうか?

胡教授:私自身の体験からいっても、日本にいる時間が長くなるほど良さを感じにくくなっていたことはありますよ。

5、6年前の夏にパリにいたことがあり、そこで電車に乗る際に、日本の電車で当たり前の快適さがすごいことなんだな、とあらためて感じました。こういった日本の良さについて、私は日本人が持つ3つの特徴からきているように思います。漢字で表すのなら、「質」「毅」「直」です。

EL:それぞれどのような意味なのでしょうか?

胡教授:1つ目の「質」は気質、品質の質ですね。

現代はモノが溢れかえっている時代なので、世界市場では日本製品は品質にこだわり過ぎているのではないか、という声もあります。しかし、私は日本の品質というものはこれからも保っていって欲しいという思いが強いです。親類に子どもが産まれた時も、私は日本製の哺乳瓶を選んで送ったんですよ。やはり質というのは、日本や日本の企業について語る時に外せない要素であり、競争力といえるでしょう。

2つ目の「毅」は努力を表します。

コツコツ努力することを、私は日本に来てから学びました。努力がほかの国にないとはいえないんですが、目標を考えて計算し毎日継続する。それは日本製品の高い品質を支える、技術力につながっているんです。

3つ目の「直」は直接の直、素直の直です。

この直という字は、中国では「拡大も縮小もせず、そのままの大きさ」であることを意味します。個人間であれば交流しやすい人、企業であれば信用性。物事をそのまま伝えることは本当に大切で、人付き合いも同じですよね。

これら3つの特徴、日本と日本人の魅力を知るためにも、もっと海外に行って日本を見つめて欲しいです。少し離れたところから日本を見ることは、日本を成長させるために、今の日本の良さを保つためにとても大事なことです。

EL:新しい視点を得るためには日本の外に出て、普通だと思っていたことが実は当たり前ではなかった、そういう実感を得ることが大切になるのですね。

最後に、読者の方に向けてメッセージをお願いできますか?

胡教授:昨今の歴史的な円安には様々な不安があると思いますが、最も心配なのは人材の確保です。

円安による物価高が続けば、相対的に給料も低くなります。最近では欧米でphD(Doctor of Philosophy:博士号)を取得した日本人の若手研究者が、中国の研究機関で就職を始めることも増えてきました。日本で就職するよりも、中国で就職した方が高い給料がもらえるからです。

ただし、もちろん円安はマイナス効果ばかりではなく、海外に進出している日本企業が現地で人材活用を行う際にはプラスに働くこともあります。

今後の日本においては、長期の視点からは自然資源よりも人的資源が大切になります。自然資源・労働力資源という角度からいうと、女性の社会進出や税制政策の改革が欠かせません。特に、人材という資源を欧米並みに活用することは非常に重要です。海外にいる日本人の人材活用や、海外人材に海外の日本企業で働いてもらうことだけでなく、国際人材を日本に呼び込む努力も求められるでしょう。その上で、人材をどうやって日本に留まらせるかを考えなければいけません。

そのための環境作りをどうするか、となるとスタートアップの育成であったり、ユニコーン企業が必要になってきます。さらに、物的・人的資源の確保による国際経済とのつながりも欠かせません。企業としても、こうした課題を意識しながら事業に取り組んでほしいと思います。


貿易を行う際に、円安によるダメージが大きい企業は世界全体を見て取引先や通貨を選ぶべき、という指摘は新しい視点でした。

何より胡先生からお話のあった、歴史的円安を乗り越えて長期的な成長を見据えなければ将来、社会保障が受けられない可能性があること。これは、今の若者世代こそ向き合わなければならない問題です。

日本が長期的に経済成長していくには、企業の成長もまた欠かせません。経営者・起業家としての立場から、日本の経済成長へとつなげていきたいですね。

(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)

※当記事は、神戸大学公式サイトでもご紹介いただきました。

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