地震や集中豪雨など自然災害が多発する日本では、緊急時の交通情報や復旧時の新情報などは誰もが知りたいものではないでしょうか。特に災害発生後に各所で生じる交通障害は、その後の支援やライフラインの復旧等の妨げとなり、人々の生命の維持に影響するため、真っ先に対処すべき課題です。
この問題に対し、現地のSNS投稿データを分析することで優先的に対処すべき箇所を特定でき、人々の不安や困難状況の緩和に役立つのではないかという研究事例があります。そこで今回、災害の一つである集中豪雨発生後のSNS分析から迅速な交通障害解消策を導かれた、広島大学の藤原章正先生にインタビューさせていただきました。
取材にご協力頂いた方
広島大学 IDEC国際連携機構 教授
広島大学 大学院先進理工系科学研究科 副研究科長
藤原 章正(ふじわら あきまさ)
1960年岡山県生。広島大学卒業後,呉高専助手,東京大学客員研究員,インペリアルカレッジ客員研究員,広島大学助教授等を経て,2002年より現職。
専門は交通計画。現在はアジア交通学会(日本)会長,土木学会副会長ほか。
著書「Sustainable Transport Studies in Asia 」「シニア社会の交通政策―高齢化時代のモビリティを考える」ほか論文多数。アジア交通学会論文賞等受賞多数。
豪雨時に人々が実際に避難へ動くまでの行動を分析する
エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):藤原先生の論文(※)であるSNS分析による大規模災害発生後の交通施策についてお話をお伺いする前に、まず調査元となっている広島県の豪雨災害の特徴について教えていただけますか?
※SNSを用いた大規模災害発生後の交通政策に対する住民感情抽出手法に関する基礎的研究 ~西日本豪雨での災害時BRTを対象として~、渡邊 芳樹・神田 佑亮・藤原 章正、土木学会論文、2021
藤原教授:広島県の山地は広島花崗岩が風化したマサ土から形成されており、土砂災害が多いことが特徴です。雨が集中的に降った場合には至る所で道路や鉄道の封鎖による交通障害が起き、使えなくなる状態が頻繁に起きるという特性があります。2018年(平成30年)7月の豪雨災害はその特性を反映した典型的な豪雨災害でした。
EL:豪雨災害はじめ災害は起きてしまったらとにかく避難しなければいけないものですが、災害が起きてから避難までの人の行動について、何か分かっていることはあるのでしょうか?
藤原教授:災害が起きた時に行政から避難指示が出ます。これを受けた時、人の内面では心理状態の再定義がなされ、「正常性バイアス」などの各種偏見が発生し、避難行動が遅れたり、行われなかったりすることが分かっています。豪雨災害の例でお話ししますと、まず災害について時間の流れで分けると「準備・備えをする段階」「災害が発生した直後」それから「時間をかけて復旧復興する段階」の大きく三つに分かれます。災害直後に最重要となるのは人命救助ですが、準備段階においても土砂災害が差し迫っている中でいかに早く適切な場所に避難してもらうか、ということが決定的に重要な要素になります。豪雨災害の場合はあらかじめ豪雨が降りそうな状況であったり、降り始めてから土砂災害が発生するまでに若干の時間がある点が特徴です。ですので、その間に充分な情報共有ができて、かつ人の心に届くような避難情報が出されたら、きっと多くの人が迅速な避難行動を行うのではないかと仮説を立てました。しかしながら実際のところは、平成30年(2018年)7月の大規模な豪雨災害の時でさえ警戒情報が出ているにもかかわらず、避難行動を起こさなかった人が非常に多かったのです。
EL:それは何故なのでしょうか?
藤原教授:理由の一つは先ほど申し上げた正常性バイアスが発生している心理状態です。例えば「自分だけは大丈夫だろう」と根拠なくたかをくくることが少なくないようです。
この認知バイアスと実際の人々の行動との関係について分析をする場合、通常はアンケートやインタビューを行って聞き取る調査が一般的です。しかしながら、災害直後に聞き取り調査を行うことは物理的に難しく、つらい経験を想起させるという道義的な疑問もあり、分析は簡単ではありません。
ではその他にどうやったらバイアスと実際の人々の行動を分析できるのか、考えた時にたどり着いたツールが、ツイートのようなSNSデータの活用です。自発的に発信されたSNSデータならば、被災をされた方々の心理的負担なく取得できるということで、呉高専の神田先生の研究グループと一緒に調査研究するに至りました。
災害時の交通混乱を迅速に解決する施策①:SNS分析による混雑解消すべき箇所の優先順位づけ
EL:SNS分析というと、どのような調査なのでしょうか?
藤原教授:我々が行なったSNS分析は、テキストマイニングという手法を使っていくつかの感情キーワードを検出し、その出現頻度と出現パターン、それから感情をAIで紐づけていく、という手順で行いました。感情によって複数回現れるキーワードを拾い上げてそこから住民ニーズの動向を分析し、住民が本当に必要としている交通施策とは何かということを研究していったのです。ツイートの中には慌てている中で論理的におかしな発言も散見されました。ただ、何千ツイートという数を分析をしていくと、大まかな感情カテゴリーという区分ができてきます。感情カテゴリーの中でも強弱のようなものがあり、繰り返し出てくるもの、一回しか出てこないようなものなど、出現頻度が分かってきます。こういった感情カテゴリーのビッグデータを基に、AIツールで分析を行いました。
EL:なるほど。そのようにして、優先的に解消すべき交通障害箇所を特定できるわけですね。
藤原教授:さらにこのSNS分析によって、先ほども申し上げた「正常性バイアス」が起きているということが確認できることも分かりました。というのも、「今まで30年ここに暮らしてるけど、こんなことは一度もなかったからきっと大丈夫に違いない」とか「私だけは問題ないはずだ」といった発言も見受けられたためです。つまり、わざわざ被災者の方々にアンケートやインタビューでの聞き取り調査にご協力いただかなくても、SNS分析によって心理状態の再定義が起きていることを正確かつ迅速に把握することが可能なのです。
災害時の交通混乱を迅速に解決する施策②:災害時BRT
EL:SNSの投稿は、ユーザー視点では「人と繋がりたい」という承認欲求を満たすことに存在意義があるのだと思いますが、現在はそれをユーザー行動の分析する上でとても有効なんですね。
藤原教授:そうですね。そしてSNS分析の結果を基に、災害時BRTという交通施策を見つけることができました。
EL:災害時BRTとは、どのようなシステムなのでしょうか?
藤原教授:災害時BRTは、一言で言うと従来より存在していた高速バスのシステム「BRT」を災害時用にシステム化したものです。BRTとは「Bus Rapid Transit」のことで、専用軌道を走る高速バスのことです。気仙沼では三陸鉄道の軌道敷を取り除き、そこに専用バスレーンを作ってBRTを運行しています。このようにBRTは、鉄道に替わって人口過疎地域における生活の足として活躍することがあります。けれども私共がやったBRTは、文脈が異なり,被災して20日位のまだまだ災害後の大混乱が起きていて、道路も閉鎖が多く、至る所で大渋滞が発生している都市部へ導入したものでした。「災害時BRT」という名称は、当初私どもが勝手に名付けた造語だったのです。
EL:ちなみに、広島ではなぜ災害時直後の渋滞が特に多発してしまったのでしょうか?
藤原教授:今は全国的にリモートワークを導入する企業が多くなってきましたが、広島の呉地域は製造業が多いため、通勤人口が他地域よりも多かったこともひとつの原因だと思います。災害により、普段通勤手段として機能していた道路が多く閉鎖となり、連日大渋滞が発生していた。この渋滞緩和のためにまず画策したのは、普段自家用車で通勤している方々にも公共交通に乗り換えてもらうことでした。ところが、鉄道も路線バスも全てストップしているような状態で、公共交通機関の利用も難しかったんです。
そのような中、高速道路の一部区間で災害の被害を受けていない所があったので、そこを「BRT専用レーン」と見立て、定時性の高いBRTの利用を促せば渋滞の緩和になるのではないかと思い付いたのです。また、高速道路以外の一部の一般国道にもBRT専用レーンの確保を、県警にお願いしました。一般道の車線を減少させることは乗用車をいじめる形にはなりますが、これにより通勤時に自家用車を利用していた多くの方々にBRTへ乗り換えてもらうことができます。結果として、渋滞が少しずつ緩和するのではないかというシナリオがありました。つまり、SNS分析により住民ニーズを的確に拾うことで、渋滞緩和策としてBRTが必要だということが分かったのです。
EL:なるほど。BRTの設置は、渋滞緩和策として有効であることが明確に判明していた上で行われたとなると、実際に運行する段階でもスムーズに実施されたのではないでしょうか。
藤原教授:いえ、実際にはいくつか問題が発生しました。まず一つ目の問題として、広島県内には被災しているバス会社もあったため、バスそのものが足りないことが分かったのです。これについては、全国のバス事業者さんがバスを貸して頂ける事となりまして、解決することができました。事実、2018年7月の広島県内では、1995年の阪神大震災で全国からの救援を受けた近畿地方や、遠くは北海道など、県外のナンバープレートをつけたバスが多く走っていたのです。
次の問題としては、お客さんにこの災害時BRTというバスの存在を認知させること、そして時刻表のようなBRTの交通情報をどうやって提供するのかという事でした。
EL:災害の混乱がある中で情報を大多数に伝えることは、なかなか難しい問題ですね。
藤原教授:そうなんです。バス事業者さんも運転手を用意し運行するのに精一杯で、リアルタイムのバス状況を伝えられるようなバスロケーションシステムを作成し機能させるといった余力は全くありませんでした。なので、呉高専や東京大学など色々な組織に協力をお願いをして、広島大学の総力を上げて即席のバスロケーションシステムを作ったんです。具体的にいうと、朝5時から6時のバスの始発便に我々が持っている手持ちのGPSを運転席の前に置かせて頂き、そのGPSのデータを収集しました。これにより各バスが今どこを通っているかを、リアルタイムで地図上に位置を反映し確認できるようにしたのです。
また、時刻表については、毎日の運行情報を集めることで作成していきました。ある一日において、昨日のBRTの運行時刻のパターンは分かっています。ですから、昨日の運行時刻を基に、当該バスの移動時間などの予測がつきます。このような情報を毎日蓄積したのです。そして、我々が分析したバスの離発着における予定時刻を、乗り換え検索を提供している複数の大手サービスプロバイダーさんが無償で自社サイトにアップロードしてくれました。それによって、会社に8時半に着くためには今日は何時頃に自宅を出発すればいいか、という予測が着くようになったのです。さらに、サービスプロバイダーさんが参加して下さったことで、災害時BRTの存在そのものを住民の方々に知ってもらうこともできたのです。これで実際に運行する上での諸問題は全て解決し、住民の方々の不安も解消され、BRTの利用者も増えていったのです。この事実は、後のSNSの投稿からも分かりました。
災害時有効となる対策及び今後連携サービスとして期待されること
EL:SNS分析を活かしたこの災害対策の知見から、より有効な災害対策や連携サービスなどに繋がっていくこともありそうですね。
藤原教授:その通りです。今後の連携サービスとしては主に二点考えられます。まず一つは災害を疑似体験できる機会を設けることです。例えば、「通勤強靭化訓練」の定期的な実施ですね。広島では2018年7月の豪雨災害の後、19年、20年と、それ以降コロナで今はちょっとストップしてますけれども、予行演習のようなものを6月か7月に定期的にやるようになりました。あの時こんな情報が集まって結構良かったとか、あの時こういう情報がなくて困ったとか、それらが分かっている人たちが集まり、仮に「一年後の2019年6月に、もう一回同じ雨が降った時にはどうするんだ?」という想定で訓練をしたのです。住民の方々にとって豪雨災害の記憶はまだ新しいところなので、広島市、呉市、広島東市のトライアングルエリアで一斉に、災害時を想定した通勤訓練などを継続してやりました。広島でたまたまうまく動いた今回のことを風化させないよう、二回目も同じ体制を維持できればという目的で訓練を行いましたね。
EL:避難訓練は今ではどんな所でも行われますが、被害を知っている方々が行うことで、より結果に表れるのかもしれませんね。
藤原教授:しかも、この広島での訓練を経験した国交省の方が転勤先の福井でも災害時BRTの運行を提案し、2022年8月の福井での豪雨災害時にスムーズな対応ができたということがありました。国交省の方々は全国レベルで人事異動があるのですが、こうした横のネットワークによって広島の豪雨災害の経験を共有するということが今起きています。ただ東北の津波災害時と同様、やはり経験したことを口で伝承していくには限界がありますので、先ほどの避難訓練のように具体的なもので継承していくことが重要でしょう。こうした取組は、避難訓練だけではありません。各自治体では災害をバーチャル体験できるビデオの制作なども行っていますね。
EL:なるほど。福井での事例を考えると、実際の災害を想定した定期的な訓練の大切さを改めて感じますね。
藤原教授:訓練やビデオなどの疑似体験以外にもう一つ、災害対策として考えられるのは、防災ミュージアムの整備です。これは現在、広島大学で検討を進めています。被災時の経験から具体的に備蓄はこういう風にすべきだとか、あるいは日頃の避難訓練は年に二回訓練の日を決めてやりましょうとか、そういったノウハウを伝えるミュージアムを作る必要があると思います。また防災ミュージアムでは、SNSの分析から得られた「人の時間的感情」の推移などを分かりやすくパターン化し、その時間帯でとるべき行動などを未来に伝えられるような仕掛けを示していくことも必要です。そしてミュージアムに集積した情報を教育機関や、各種アプリやサイトなどへ広く発信することで、災害時の実際の行動についてより多くの国民の皆さまに関心を持ってもらえるようになるでしょう。こうした活動を通じて、より有効的な災害対策となる取り組みは今後どんどん増えていくのではないでしょうか。
※追伸
本取材のもととなった論文は、呉高専の神田佑亮教授が責任著者として公表されたものです。また、災害時BRT等の復旧対応も神田教授の献身的なご貢献がなくして成り立つものではありませんでした。ここに記して敬意と謝意を表します。
まとめ
今回は、広島大学の藤原章正先生にお話を伺いました。集中豪雨をはじめとした各災害は、世界的な気候変動などにより今後も全国で発生する可能性は否めません。SNS分析から集約できた住民ニーズを基に実現した災害BRTは、迅速な復興を可能にする災害対策の重要なサンプルであったと言えるでしょう。
ただ、災害の記憶というのは風化します。どのような災害対策も、住民がその重要性を理解し日々の訓練を継続し続けなければ、将来に渡って機能し続けることはありません。したがって、災害対策と同時に、災害の記憶を鮮明に後世に伝えるミュージアム建設などの取り組みも非常に大切です。それが、災害大国日本で生き続けるための、誰もが持つべき「サバイバルマニュアル」ではないでしょうか。
(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)