上智大学 経済学部
川西 諭 教授
これからのビジネスを考える上で押さえておくべきゲーム理論

これからのビジネスを考える上で押さえておくべきゲーム理論

経済学で「ゲーム理論」という言葉がよく出てきますが、一体どういう理論なのかご存じでしょうか?

そもそもゲーム理論とは、およそ70年前、当時の経済学を批判する目的として生まれた理論なのだそうです。

このゲーム理論、現代では学問としてだけでなく、ビジネスや政治の世界での意思決定において大きな影響を与えています。

そこで今回はこのゲーム理論について、基本的な知識や代表例、今後の活用などについて上智大学経済学部の川西諭先生にインタビューさせていただきました。

取材にご協力頂いた方

上智大学 経済学部 教授
川西 諭(かわにし さとし)

1971年生れ。富山県富山市出身。1994年横浜国立大学経済学部卒業、1994年横浜国立大学経済学部国際経済学科卒業、1999年東京大学大学院経済学研究科経済理論専攻博士課程単位取得満期退学。2000年「学習と進化と景気循環」で同大学経済学博士。1999年より上智大学経済学部経済学科で教鞭をとり、講師、助教授、准教授を経て教授。専門は行動経済学の応用研究。
著書『ゲーム理論の思考法』『図解よくわかる行動経済学』『知識ゼロからの行動経済学入門』『経済学で使う微分入門』(いずれも単著)、『金融のエッセンス」(山崎福寿先生との共著)『マンガでやさしくわかるゲーム理論』(作画:円茂竹縄)。

目次

ゲーム理論で様々な社会現象を客観的に理解できる

エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):ビジネス書籍や各メディア記事、大学での講義等で今や広く認知されてきたゲーム理論ですが、改めてゲーム理論とはどんなものなのでしょうか?

川西教授:私たちの社会の中で起こっている様々な状況や問題を、客観的に理解するための道具がゲーム理論なんです。そして、ゲーム理論における問題が起こっている状態というのは、「一人の人だけ」ではなく「複数の人が関係して」問題を起こしている状態を指します。例えば経済の問題であれば、売り手と買い手がいたりとか、企業間のライバル関係であるとか、あるいは職場の中でのAさんとBさんの協力関係だとか、場合によっては競争関係だとか、そういった複数の人や対象における問題ですね。このそれぞれの対象者のことを主体と言いますが、主体間の関係性を客観的に、数学的に分析するための道具がゲーム理論なんですね。

EL:なるほど。主体間の関係性を分析するこの分析方法に、なぜ「ゲーム」という名前がついているのでしょうか?

川西教授:そもそもゲーム理論では、起こっている状況を「ゲーム」としてとらえます普通ゲームの中にはプレイヤーがいますね。ゲーム理論では何らかの選択や判断をする対象者、つまり主体のことを共通用語としてプレイヤーと呼びます。このそれぞれのプレイヤーが複数の選択肢を持っています。各プレイヤーがその複数の選択肢から自分の選択肢を選ぶことによって、結果が決まってきます。その全ての状況を共通のフレームワークで記述することができるのが、ゲーム理論の特徴です。例えば昆虫など生物界の間で起こっていることと、それとは別に企業間で起こっていること。通常その二つは全く別の問題として理解するものが、よくよく見ていると、実は共通する性質があることが分かることがあるんです。加えて、その起こっている現象自体も、二つとも似たような現象が起こっている、ということがフレームワークを通して分かるわけですね。そうすると、例えば生物の世界で起こっている現象で我々が学んできたことを、ビジネスの世界で起こっている問題や、あるいは本当に身近な人間関係の中で起こってる問題に当てはめて考えることができるんです。

EL:なるほど。それぞれの事象の考察から得られるゲーム理論の知見は、他の多くの物事の解決策へ導くヒントになるわけですね。

川西教授:それがゲーム理論の面白い所であると私は思うんです。物事を理解するときに、「あ、この状況って、あの有名な囚人のジレンマゲームとよく似た構造だよね。」というふうになると、「そうか。囚人のジレンマゲームであれば、そのジレンマを避けるために、囚人のジレンマに関する様々な知見の内のどれかをちょっと試してみようかな。」という風に思える。ゲーム理論の知識が全くない人は「なんか上手くいってないなあ。誰も望まないような結果になっているような気がするな。でも、どうしていいのかよく分からないな。」と諦めてしまうこともあると思うんですよね。けれども、ある程度ゲーム理論を知っている人は、これを応用して対応することができます。それが、このゲーム理論が広く知れ渡っている理由の一つであると思いますし、私はこのゲーム理論を経済学や社会科学を解き明かすための一つのツールとして使っていますね。

代表的なゲーム理論を紹介

EL:ゲーム理論には、どういったものがあるのでしょうか?

川西教授:ゲーム理論は応用範囲がとても広く様々な例がありますが、1対1のゲームは基本的に以下の5つです。

  • 囚人のジレンマゲーム
    互いに協調した行動をとれば、しないよりも良い結果を得られるというゲーム。非協調な行動の結果、協調した場合よりも利益が下がってしまう。
  • コーディネーションゲーム
    お互いに同じ選択をすることによって、お互いの利益が守られるようなゲーム。起こりうる結果が複数存在する。例:右側通行の国もあれば、左側通行の国もある。
  • チキンゲーム
    どちらが勝つか負けるかを根比べして競争するゲーム。自分は譲歩したくはないがお互いが意地を張り続けると最悪な結果となる。
  • 男女の争い
    コーディネーションゲームと似て、男と女にとって同じ戦略を選ぶことが互いの利得を大きくするが、どの戦略を互いに選ぶ状態になるのかによって男女で好ましさがことなるゲーム。このためプレイヤー間で争いが起きる。
  • マッチング・ペニー
    お互いにコインの表か裏かを選び、表裏が同じであればAの勝ち、異なればBの価値という単純なゲーム。ジャンケンとも似た構造で、どのような結果になるのかはわからないのが特徴。特にスポーツの駆け引きには多い構造で、結果がわからないからこそ面白いとも言える。

ゲーム理論に数式は必須ではない

EL:ゲーム理論は先ほど数学的に分析するということでしたが、この代表例たちも全て数式で表すことができるのでしょうか?

川西教授:はい。数式で表すことができます。

例えば囚人のジレンマゲームというのは二つの戦略(「協力」と「裏切り」)があって、それを二人がそれぞれ選んだ時に、各人における望ましさのレベルが決まります。これをゲーム理論では英語でペイオフと言いますが、日本語では利得と言います。私とBさんという人がゲームをしている時、まず私が協力して相手も協力してくれたとして、その時の私の利得は何点です、というのが決まります。数学的に分析するには、これを関数で表します。このゲームは私の利得を表す関数と相手の利得表す関数の2つの関数を定めることで記述がされます。ちょっとややこしいですが、全て関数という数式にしたあとは、それらを数学的に考察していくことで分析が進められるんです。

EL:なるほど。そういった方法で全て数式で表せるのですね。

川西教授:ただ、私が書いた本には多分数式は一つも出てなかったと思います。数式がなくてはゲーム理論が理解できないかというと、全くそんなことは無いんですよ。

EL:と言いますと?

川西教授:実際、ゲーム理論を経済に応用する時、私の場合直感レベルでは数式が頭に思い浮かぶことはありません。世の中に溢れる様々なゲームの構造を理解をしようとする時に必要なことは、ゲーム理論を知っていることで、問題が起こりやすい構造のようなものが見えてくること、だと思うんです。同じような問題を見ていても、他の人達と違う見方ができる。

私の本の中ではサッカーのプレイヤーの例を出していますが、プレイヤー目線で見ているのと観客目線で見ているのとでは、やはりゲームの見え方が違うんですよね。サッカーの日本代表のパフォーマンスがよくないと、素人の人たちは「何やってんだ」って偉そうなことを言いますけど、もう今の日本代表の人たちのレベルはもう相当高いと思うんです。我々ド素人が偉そうなこと言えるレベルでは全くないのにも関わらず、それでもド素人が見ていると「なんであそこにパス出さないんだ」とか、そういう風に見えてしまう。なぜなら、それはやはり見てる視点が違うからで、客観的に全体が俯瞰して見えると、何をするべきかというのが実は第三者でもよく分かるんです。もちろん実際のサッカー選手になった時にそれが本当にできるかというのは別なのですが、ゲーム理論においては一歩引いて考えてみるということが、とても大事なんですね。

ですので、始めから数式で考えていくということではなくて、ゲーム理論を知っていることで俯瞰的に問題を解決するための見方ができるところが、重要なポイントかなと思っています。

コロナ禍にてゲーム理論が当てはまる経済現象

EL:ちなみに、新型コロナウィルスが猛威を奮い始めたタイミングで様々な社会環境の変化がありましたが、今はその状況が定着しつつあるように思います。現在成功している企業や国は、何かゲーム理論の手法を戦略的に機能させたのでしょうか?

川西教授:コロナ禍で成功した企業がゲーム理論の手法を戦略的に機能させたのかどうかはわかりません。しかし、ゲーム理論の知見があれば、コロナ禍で起こっていたいくつかの社会現象を違った目で見ることができると思います。ゲーム理論には進化論的な立場があり、私を含むその立場の人たちの考えでは、我々は社会における様々な物事において、試行錯誤しながら長い時間を経て、より良い選択が選べるようになっていると考えます。

今回のコロナによって、私たちがプレーするゲームの構造は大きく変化してしまった。私と同じ立場の人たちは、そのような状況で人々が最良となる選択ができるとは考えません。コロナになって新しい生活様式というものが求められるようになって、旅行もできないし外食もできない、ということになった。そのような新しい制約が課せられた状況で、何が私たちにとって一番良い選択なのかということを考え、それぞれの人が適切に行動を変えることができるのか?あるいはビジネスをしている人たちが、それに応じて適切にビジネスのやり方を変えることができるのか?ここが問題なんですが、私たちはそれは難しいと考えています。

ですので、特にコロナの初期においては、ゲーム理論に照らしても最適とは言い難い行動が観察されていたと私は見ています。ゲーム理論の予想とは異なる行動です。しかし、そこから少しずつ行動が修正されて、ゲーム理論に則った行動をするようになったのではないかと考えています。

マスク騒動は囚人のジレンマゲームで説明がつく

EL:なるほど。では、コロナの中でゲーム理論を使って理解できる問題や現象には、どういうものがあったのでしょうか?

川西教授:例えば、コロナ初期に生じた深刻なマスク不足の例を考えてみると、少し「囚人のジレンマゲーム」と似たような構造だったのではないかと思います。マスクの需給がひっぱくしているけれど、みんなが必要な分だけ買っていれば、充分にみんなに手に入る状況だったとします。しかし、「もし手に入らなかったらどうしよう」と不安に思って必要な量の二倍買ってしまう人が出てくる。こういうことを、例えば10%の人が行うと、需給がさらにひっ迫してしまい、結果として、彼らが不安に思った通りに実際に買えない人が出てきてしまう。

実際、買えない人が出てくると、買えなくなるんじゃないかという不安が現実のものとなって、みんなが必要な量を超えて(親しい人の分まで)買おうとしたり、値上がりを見越して転売目的で買う人たちまで出てきてしまう。すべての人が必要な分だけ買っていれば起こらなかった問題が、ちょっとした不安によって利己的な行動を取ってしまう人が出てきて、皆がジレンマに陥ってしまう、ということが実際に起こった例ではないかと思います。

ただ、実際に需給がどれほどひっ迫してたのかはちゃんと検証しなくてはいけないので、安易に囚人のジレンマゲームの構造ですよと断定はできないのですが、おそらくそういう構造になっていたのではないかなと、私は考えています。

オンライン会議の普及は正にコーディネーションゲーム

EL:そうなんですね。他には、どういったものがあったのでしょうか?

川西教授:他には、オンライン会議が急速に普及した現象が「コーディネーションゲーム」というゲームに当てはまるのではないかと思います。

今は世の中が「withコロナ」という局面に落ち着いてきて、対面でも会議ができるようになってきている部分もあると思うんですけど、一部では「オンラインのままでいいじゃないか」という流れになってきてるところもあると思うんですね。実は、このオンライン会議ができるシステム的な条件というものは、コロナのずっと前から整っていたんです。

EL:以前からオンライン会議自体はいつでもできる状態にあった、と?

川西教授:Zoomもそうですし、Zoom以外のオンラインでの会議システムも、実はもうすでに使えるようになっていた。だから、コロナになってからすぐにオンライン会議っていうのができたんです。でもコロナの前にズームを使ったことがある人ってすごく少なかったですよね。

これはなぜかというと、ズームを使って会議をするとか、オンラインツールを使って会議をするという文化が定着していなかったからなんですね。そもそもズームという選択肢があるにもかかわらず、誰も使ってないとその選択肢が活かされないんですね。一部の人は使いたいと思っていたかもしれませんが、他の多くの人が使わないのに自分だけ使おうとしてもうまくいかなかったわけです。

それが今回のコロナによって、みんなが対面での会議ができなくなって、違う選択肢を考えざるを得なくなった。そこに以前から存在していたオンラインで会議をするということが一つのソーシャルなソリューションになったので、みんなそこに飛びついた、と。我々ゲーム理論の用語で言うと、「一つの均衡として定着した」と言います。このように、コロナになったおかげで、我々は新しい均衡にコーディネートすることができたのだと思いますね。

他にも、実際には我々が気が付いていないだけで、もっといいソリューションがあるのかもしれないけれど、みんながそれを知らないとその選択肢を選べない、ということが実は常にあるのだと思っています。

現在までのゲーム理論は万能ではない

EL:では、今後ゲーム理論はどんなことに活用されていくと思われますか?

川西教授:個人的には、ゲーム理論自体が今後更に発展するようなことは、あまり意識するところではないんですね。

EL:なるほど。理論そのものが進化の方向に向かっていく訳ではないと。

川西教授:そうですね。例えば、ゲーム理論でゲームが記述できて、そこから一定の仮定を置くとこういう現象や状況になるだろう、ということはある程度予測はできます。けれども、我々がゲーム理論を応用するときに問題となるのは、実際現実に当てはめてみた時に、ゲームの予想通りになっていないことなんですね。なので、そこを「なぜなんだろう?どうして予想通りにならないんだろう?」っていうところを、解明し究明していって、我々の社会の中で起こっているさまざまな問題をより正しく深く理解できるようになる、というのがゲーム理論の進むべき道だと思っています。

行動ゲーム理論で人間理解にも重点を置く

EL:現時点では、これまでのゲーム理論が全ての事象に万能に対処できる、ということではないんですね。

川西教授:そうですね。トラディショナルな経済学は、話を簡単にするために、一定の合理性を前提にして発展してきたんですね。すべての人々は自分の満足度を最大にするように行動をしているし、企業も利益を最大化するために行動している、と伝統的な経済学では考えられていました。しかしこの前提では、うまく説明ができない現象がやっぱりあるわけです。そこで、実際のところどうなのか、人間行動、企業行動、人間の心理とか行動のメカニズムも含めて再考しましょう、もう一度考えましょう、という新しい経済学が行動経済学になります。そして、同じように起きている状況を正しく理解するために、ゲーム理論で人間の行動をちゃんと考えようとした研究を行動ゲーム理論といいます。これらを研究する上で重要になってくるのが、人間理解だと私は思っています。

EL:人間理解と言いますと?

川西教授:私たち人間っていうのはまだまだ充分に理解されている存在ではないんですよね。様々な間違いもしますし、理論通りに動かないところっていうのがたくさんあります。例えば、心の病を抱えてしまう人とかもいますし、よくわからないところで怒りだしてしまう人がいたり、やる気を失ってしまう人がいたりします。私たち社会の中には様々な問題がある訳ですが、その問題というのは、そのゲームの構造が引き起こしているということももちろんありますが、ゲームの中に居るプレイヤーが起こしている、ということもやはりあるんですね。実際に、私たちがこの人間社会という一つのゲームの中で安心してプレイできるようになるためには、相手となっているプレイヤーのことを正しく理解しないとダメだと思うんです。そこがよくわからないので、日々様々なトラブルとか問題が起こっているんと思うんですね。

行動ゲーム理論の研究事例①:いじめの構造

EL:なるほど。行動ゲーム理論は、人の行動を解き明かす研究にも繋がっていくんですね。

川西教授:例えば、日本の企業で、毎年たくさんの離職者が出ていますが、離職の理由として、一つに人間関係の問題があると言われています。人間関係の問題を客観的に見た時に、非常につまらない理由で良くない状態になってしまうことがありますが、例えばいじめの問題もそこに入るでしょう。社会科学者の視点からは、いじめの本当の構造というのは、学校現場でも、あるいは職場においても、ちゃんと理解されてないように私は思っています。実は、世界の研究者たちはこのいじめの構造についてかなり注目しているんです。例えば、動物たちの中でもいじめは起こるのですが、どうしていじめが起こるのかという根本的な動機や、そういう感情を引き起こすような仕組みが、潜んでいるのではないか?でも、そういう中でも、うまくその問題を理解した上で対処すれば、いじめをそもそも起こりにくくするというのはできるんじゃないかとか?そういうことも、少しずつは分かってきています。

行動ゲーム理論の研究事例②:生産性が上がらない組織の構造

EL:いじめの問題を動物間のそれと同じ現象として取り扱いながら、構造を解明していくという動きは興味深いです。その他にも人間の行動から何か解き明かしていこうというような研究はあるのでしょうか?

川西教授:その他には、例えば職場の中で生産性を上げるにはどうしたらいいのか、ということも行動ゲーム理論を使って考えることができると思います。職場の中に色々な人がいて、ただ単に成果報酬を導入すれば、みんな成果を求めてすごく頑張るかというと、そんなことは全然ないんですよ。これはもう多くの企業が経験してきてよく分かっていることだと思うんですが、成果報酬があればみんな頑張るということであれば、日本は成果報酬導入以降、現在までに生産性が上がっているはずなんですよね。ところが全然そんなことはなくて、成果報酬があることでかえってモチベーションが下がってしまっているのではないか、ともいえると思います。

大学現場では実際そういうことが起こっていると、私は感じています。例えば、今多くの大学で競争的研究費というものがあります。これは本来、将来役に立つ可能性が高い研究をしていると省庁等に評価された研究者へ、研究費が配分される制度です。ですが実際には、目立つ研究をしている人にはたくさんの研究費が配分されて、本当は役に立つが目立たない研究をしている人にはあまり研究費が配分されないような構造になってしまっている。では具体的に大学において研究者が何をやってるのかというと、研究するよりもむしろ研究費をとることにみんなエネルギーを割いてしまっている状態なんですね。そして、その競争に疲れてしまった人が研究するモチベーションを失ってしまうようなことが、実際起こっていると思います。正確には把握できていませんけれども、日本で競争的研究資金というものが導入されて以降、海外の学術誌に掲載されている日本の研究者の発表する論文数というのは、増えるどころか減少傾向がずっと続いてる、というのが私の見方です。

EL:素晴らしい研究をよりサポートするために導入された「競争的研究費」だったはずが、マイナスに働いてしまったんですね。

川西教授:そうです。どうすればより高いレベルの研究がなされるのかということを、我々も考えて行かないといけないですね。企業もどういう仕組みにすると生産性が上がるか、つまりそれぞれの人が気持ちよく働けて充実した職場の中でいい仕事ができるのか、ということについても今後考えていく余地はあるのではないかなと思っています。ですので、ゲームの構造を理解しその発展性を研究するということよりは、そのプレイヤーである人間理解の方が応用面では重要になってくると思いますね。

社会的な選択とゲーム理論

EL:先ほど大学における研究費のお話がありましたが、政府が教育における資金を潤沢に用意すれば割と解決しやすいこともあるかと思います。こういったことについてゲーム理論から分かることは何かありますか?

川西教授:ゲーム理論でいうと、日本という国における社会的な選択の問題があると思います。先ほどのオンライン会議のコーディネーションに近いかもしれませんね。具体的には、国が何に税金を使うのか、ということです。先ほどおっしゃられたように、教育に関して言えば、経済学的には投資になるかと思うんですね。教育することで様々な知識・技術・考え方を高めることによって、将来により大きな価値を生み出すことができる、というのが教育の意義だと思っています。ヨーロッパなどでは高等教育の無償化が進んでいますが、日本においてそれが進まない理由の一つに、「自分達夫婦にはそもそも子供がいないのに、税金がそんなことに使われるのは嫌だな」と思う人たちもいるのではないでしょうか。けれども、社会にもかなり還元される要素というのはあります。

EL:と言いますと?

川西教授:例えば、こう考えてみてください。あなたは子供がいなくても教育費にも回る税金を払わなければならないわけですが、その教育費で学んだ見知らぬ子供が成長し、将来がんに100%効く特効薬を開発したとします。そして、あなたががんに罹患して苦しんでいた折に、その特効薬によって命を救われるような時も来るかもしれません。そういう考え方から、ヨーロッパなどの政府は、教育に対して公的なお金を使いましょう、ということで高等教育の学費を無償化している国はかなり多いんですね。対して、日本の税金の使途としては、やはり社会保障が非常に多くなっていますね。ここがヨーロッパの国々と日本との社会選択の違いでもあります。しかしながら多くの人たちが教育に税金をかけることが大事だ思うようになれば、高等教育の無償化をはじめとした教育へ投資する、国が教育にお金をかけていくということは、近い未来実現するのではないかなと私は思っています。そしてこういった教育の問題だけでなく、国民の多様な考え方が存在する中で、皆が納得して支持する政策をどうやって決定し実現していくか、ということは今後多くの国が考えていかなければいけない問題だと思いますね。そのためにゲーム理論も総動員して、どうしたらいいのか検討されていくべきなのではないかと思います。

まとめ

今回は、上智大学の川西諭先生にお話を伺いました。

ゲーム理論は、ゲームの中での複数のプレイヤーの選択を共通のフレームワークを通して記述し、数学的に分析を行うものとお聞きしました。とはいえ、必ずしも数式を通して考えるのではなく、一歩引いた見方や考え方ができることが大事であるということです。

また、マスクの問題で起こっていた「囚人のジレンマ」、オンライン会議の日常化の背景にある「コーディネーションゲーム」など、ゲーム理論は様々な所で起こっている問題を客観的な視点で説明することができます。

そして今後注目される「行動ゲーム理論」によって私たち人間の行動は根本から理解され、いじめや社会構造、各政策や企業の利益最大化に至るまで、さらに多くの現象が解明されていくことでしょう。

今後の社会において、より多くの方がゲーム理論の視点を持てば、より良い社会の実現へ大きく前進できるのではないでしょうか。 

(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)

この記事を書いた人

目次