「弘前大学COI」といえば、日本でも有数の成功を収めている医療プロジェクトです。
3000項目にもわたる健康ビッグデータを蓄え、50以上もの企業が商品・サービス開発のために投資するプロジェクトは他に例を見ません。医療プロジェクトが民間企業からの継続的な投資によって自走できる体制を整えていることは、非常に稀有なものといえます。
そこで今回は弘前大学COI-NEXTの拠点長であり、本プロジェクトをけん引してきた村下教授に、弘前大学COIと岩木健康増進プロジェクトがどのように成功へと至ったのかインタビューしました!
取材にご協力頂いた方
弘前大学 健康未来イノベーション研究機構長・教授
村下 公一(むらした こういち)
青森県庁、ソニー、東大フェロー等を経て2014年より現職。弘前大学COI拠点では副拠点長(戦略統括)として産学連携マネジメントを総括。文科省他政府系委員等多数。内閣府「第1回日本オープンイノベーション大賞」内閣総理大臣賞受賞(2019)。第7回プラチナ大賞・総務大臣賞受賞(2019)。第9回イノベーションネットアワード・文部科学大臣賞受賞(2020) 。専門:地域産業(イノベーション)政策、社会医学。
産学連携における大きな成功事例といわれる「弘前大学COI」
エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):それでは最初に、弘前大学COIがどういった取り組みをされているのか、教えていただけますか?
村下教授:まず、COI(Center Of Innovation:センター・オブ・イノベーション)というのは、文部科学省・国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)、つまりは国の大型研究開発支援プログラムです。
COIは簡単にいうと『10年後の理想とする社会』(将来像)を定めた上で研究活動を行ない、得られた成果を社会実装することで大きなイノベーションを起こそう、というものです。弘前大学は2013年に「COI STREAM(革新的イノベーション創出プログラム)」の1つとして採択され、2022年でちょうど10年目になります。
EL:弘前大学COIは産学連携における1つの大きな成功事例といわれていますね。
弘前大学COIが成功した理由としては、どういった点が挙げられるのでしょうか?
村下教授:そもそもCOIのユニークなところは、政府のプロジェクトとしては初めてバックキャストを採用したところなんです。
一般的にはフォアキャストの方が圧倒的に多くて、例えば世界的に注目を浴びるような研究結果が発表されたら、どうしたら世の中の役に立つかを考えますよね。
ですがバックキャストはフォアキャストの逆で、将来社会がこうなるべき、という最終的なゴールや未来像を先に描いておきます。そして、それを実現するためにはどんな研究が必要か、研究を行うために参画が求められる大学や企業を集め、成果を評価した上で目標実現に向けてさかのぼっていくというやり方を取るんです。すでにバックキャストを取り入れている企業さんは多いかもしれませんし、今後はこういったやり方が主流になっていくようにも思います。
弘前大学COIが成功する結果となったのは、プロジェクトの性質的にバックキャストとの相性の良さもあったかもしれません。
EL:プロジェクトの性質というと、弘前大学COIの軸となる「岩木健康増進プロジェクト」とも関係する部分でしょうか?
村下教授:そうですね。弘前大学COIが目指すところとしては、
- 健康ビッグデータを用いた疾患予兆法の開発
- 予兆因子に基づいた予防法の開発
- 認知症サポートシステム(意思決定支援)の開発
などが主なものになりますが、集約すれば超多項目ビッグデータで予兆から予防、行動変容までトータルにイノベーションを起こすことに取り組んでいます。ここで重要になるのが「岩木健康増進プロジェクト健診」、つまり岩木健診によって蓄積してきた膨大なデータなんです。
超多項目の健康ビッグデータという極めて優位性の高いものを持っているからこそ、『10年後の理想とする社会』に向けて起こすべきイノベーションも明確に見えてくる。そういう強みが弘前大学COIの成功につながった理由の1つであるように思います。
岩木健診では3000項目の健康ビッグデータを18年分蓄積
EL:なるほど。超多項目ビッグデータというのは、弘前大学COIの最大の強みといわれる3000項目以上の健康人のデータですね。
「岩木健康増進プロジェクト」についても他に例を見ない取り組みなので、詳しくお聞きしたいです。
村下教授:「岩木健康増進プロジェクト」は、地域の住民の健康づくりを支援するいくつかの仕掛け、それらの総称です。ここでは岩木健診としてお話ししていきましょう。
岩木健診を始めたきっかけは、弘前大学のある青森県が何十年もずっと日本一の短命県という状態が続いていたことです。そこで、地元の大学の医学部として何とか貢献したい、ということで中路教授を中心に2005年から岩木健診を始めました。
岩木健診の特徴は、先ほども少し触れたように病気になる前の健康な人を対象とした、非常に幅広い種類のデータを蓄積していることです。
従来のビッグデータは、病院に通うようになってから出てくるレセプトや医療画像、いわゆる医療データを指すことが多いんです。しかし岩木健診では健常者のデータ、しかも一般的な健診の100倍にあたる、3000項目ものデータを蓄積しています。開始したのが2005年で今年が2022年なので、蓄積してきたデータは18年分になりますね。
EL:3000項目の検査結果を18年間とは、本当に比較できる対象がないほどのビッグデータですね。
それほど膨大な数の検査をするとなると、やはり健診の規模も相当大きなものなのでしょうか?
村下教授:岩木健診では、毎日300人くらいの医療従事者(学生を含む)がスタッフとして参加してくれています。
いわゆる集中方式で1日に100人以上を10日間連続で検査し、1000名以上の検査データを取得するという枠組みです。ご協力いただいている住民の方は基本的に20歳からが対象なのですが、90歳を超えるようなご高齢の方も協力してくださっています。一般的な健診だと30分もかからずに終わると思いますが、高齢の方は朝の6時から始めて10時間くらい、若い方でも5時間程度はかかりますね。
地方大だからこそ培えた地域との信頼関係が弘前大学の強み
EL:10時間とは驚きです。素朴な疑問ですが、そこまで長時間の健診となると渋る方はいらっしゃらないのでしょうか?
村下教授:もちろん、そういうことも全くないわけではありません。
ただ、岩木健診が実現できている背景には、大学と地域の方との間で培ってきた厚い信頼関係があります。
我々大学側としては研究のためという以上に、地域の方の健康に貢献しようということで取り組んでいます。地域の方としては自分自身の健康はもちろん、健診に協力することで社会全体にも貢献できるかもしれない、という思いで協力してくださっている。お互いにWinWinの関係で成り立っているわけです。
加えて、協力していただいていることへの還元として、年に2回は必ず住民向けの報告会を開催しています。岩木健診は地域の方の健康づくりに貢献しつつ、研究を通して様々なエビデンスを蓄積し、地元はもちろん社会全体に還元できるような取り組みを目指していますからね。
報告会では大学病院の専門医がブースを作って、地域の方の検査結果を踏まえた健康相談にのっています。
一人ひとりに対して丁寧に寄り添ってアドバイスする活動を長年続けてきているので、地域の方にとっても健康に関する悩みを相談する良い機会になっているようです。実際、岩木健診で重大な病気がわかって速やかに対応できた事例もあります。それに、そこまで大きな問題でなくても、生活の中での健康の悩みも相談できますから、安心感を持っていただけているんじゃないかと思います。
EL:大学病院の先生と直接お話できる機会が定期的に設けられているというのは、非常に有難いですね。
村下教授:通常は大学病院の医師というのは最終的な高次医療機関であって、重篤な病気を抱えている人しか診ることはありませんからね。
ですが、報告会に伴って毎年丁寧に寄り添い続けると、大学病院の医師と地域の方との間にも信頼関係が生まれます。ただ大学が研究したいから「協力してください」、だけではなかなか理解は得られません。
その点、岩木健診については先ほどもお話ししたように研究自体が地域貢献を目的としていて、そのために大学も動いています。そして得られた協力に対してはきちんと応える、そういう相互関係ができていることが、15年以上続くプロジェクトになっている重要なポイントだと考えています。
そして、それだけの協力が得られているからこそ、内科的な検査項目に限らない超多項目ビッグデータの形成につながっているわけです。
超多項目の健康ビッグデータが「QOL健診」を実現した
EL:内科的な検査項目に限らないというのは、具体的にはどういった項目が含まれるデータなのでしょうか?
村下教授:その人の運動機能なども含めた、頭のてっぺんから足の先まで全身全てを網羅したデータ、と考えるとわかりやすいでしょう。
一般的な医学研究の生理データだと、血液や唾液や尿などから分析したデータが中心になります。しかし、岩木健診では遺伝子、つまりゲノムデータやライフスタイル由来のデータまで含めて取っている点に特徴があります。
健康は通常、年齢や遺伝要因で語られることが多いのですが、実は普段の生活や社会経済環境といった外部環境も大きく影響しているといわれています。岩木健診のビッグデータには、それら全てを満たす、包括的な情報が蓄積されているのです。
例えば、一般的な健診や人間ドックなどでは体力や運動機能の測定は行いませんよね。ですが、岩木健診では走ったり早歩きをしたり、ジャンプをしたりといったこともやってもらいます。高齢の方の運動機能や足腰、骨や筋肉が問題なく身体を動かせる状態を維持できているか、年齢ごとの最大値をけがをせずに引き出せるかを健診を通して確認するためです。
高齢化が進んで健康寿命という言葉も出てきましたが、やはり高齢になっても元気に自立的に行動できることはとても大切なんです。
EL:確かに、こうしてお話を伺うと健康というのは非常に複合的な要素から成り立っていますし、内科的な検査だけでは見つからない問題点は山ほどありそうです。
弘前大学COIは超多項目の健康ビッグデータをもとにした予兆から予防、行動変容までトータルなイノベーションを目指していると仰っていましたが、やはり「超多項目」であることがポイントなのですね。
村下教授:はい。研究結果を社会へ還元しようと考えると、病気にならないためにはどうすれば良いのか、すなわち予防医学が重要になります。
もっとも、病気の発症予測そのものはこれまでも多くの研究者が取り組んできたことで、特別珍しいものではありません。ですが「あなたは将来、50%パーセントの可能性で認知症になります」「糖尿病になる可能性は80%パーセントです」と言われても、そうならないためにはどうしたら良いのか、で止まってしまう。現状、このように予測するだけで止まっているケースが多いわけですね。
では、予測からもう一歩踏み込んだ予防医学を実現するにはどうしたら良いのか。
最初にお話ししたトータルなイノベーションの中には、ウェルビーイングな社会を作ることも含まれています。そのために弘前大学COIで得たあらゆる成果を集約し、次のステップとしてチャレンジしているのが「QOL健診」であり、鍵となるのが超多項目の健康ビッグデータなんです。
EL:Quality Of Life(クオリティ・オブ・ライフ)、つまり「生活の質を上げる健診」、ということでしょうか?
村下教授:その通りです。どんな努力をすれば病気の可能性を減らせるのか、改善できるのかを健康プランとしてアドバイスするんです。
今は方法論が少しずつ見えてきた段階で改善に向けての過渡期ではありますが、岩木健診で築き上げてきたビッグデータには全身の網羅的な情報が詰まっています。それらのデータを解析して、予防医学における基礎的なエビデンスとして蓄積しているんです。また、京都大学の奥野恭史教授を中心としたビッグデータ解析チームと共同で取り組んでいる、AIを使った病気の発症予測モデルの開発にも力を入れていて、約20種類の疾患に対して3年後の発症を高精度で予測できる目処が立つところまで進んでいます。
こうして蓄積してきた情報と技術があれば、QOL健診で得られたデータをもとに一人ひとりの状態に合わせて健康プランをカスタマイズし、病気になる前の健康度を高め、より早期の段階で予防することも決して絵空事ではありません。
ただ、QOL健診は「誰でも」「楽しく」「速く」できることを重視しているので、健診そのものは2時間程度のコンパクトなものにしています。検査を「メタボ(メタボリックシンドローム)」「口腔保健」「ロコモ(ロコモティブシンドローム)」「うつ病・認知症」の4つの重要テーマで40項目に絞り、結果は本人に即日共有します。
その場で詳細なフィードバックを行うことで日常生活の中での目標を立て、動機付けと行動変容を同時に促す新しい健診モデルにしているんです。本人の気づきがあればモチベーションを高く保つことができますし、楽しみながら生活習慣を変えていける。実際に、QOL健診によって行動変容に一定の効果が認められることも確認できています。
DX化によって健診がスピーディかつコンパクトに
EL:自分用にカスタマイズされた健康モデルが健診を受けたその場で提供される、というのはぜひ体験してみたいです。それに、メタボや口内の健診をひとまとめにして受けられるのは手軽で魅力的ですね。
村下教授:一般的な健診が項目ごとに歯科医院や精神科、神経科などに行かなければならず、一箇所で全ての検査ができないことを考えれば、かなり特徴的な健診かもしれませんね。
現代ではうつ病や認知能力の検査は非常に重要ですが、なかなか若い人ほど「自分は認知症かもしれない」とは思いません。ですが、プログラムの中にさりげなく組み込まれていれば早期に発見できる可能性が高くなります。
EL:岩木健診に比べて、QOL健診が2時間というコンパクトな時間にまとまっているのは、検査項目を40項目まで絞った点が大きいのでしょうか?
村下教授:もちろん検査項目の数もありますが、検査のスピードアップには最先端のデジタル機器の積極的な開発・導入を行っていることも影響しています。
例えば、名刺入れくらいのサイズの機械に掌を載せればその場で野菜の摂取量レベルがわかる機器や、においから認知症を判断する技術のほか、唾液を取って検査装置にセットするだけで口内の健康状態がわかる技術も生まれています。
いろいろな病気の根源といわれる内臓脂肪についても、一般的にはCTで検査を行いますよね。ですがCTはかなり大がかりなので、気軽にできるものではありません。そこで、お腹に巻くだけで内臓脂肪がその場ですぐわかるベルトのようなものをある企業さんが開発したんです。今ではさらに進化していて、スマホで正面と横から撮影するだけで内臓脂肪がほぼ正確に推定できるようになっています。
これらのデジタル機器は、健康ビッグデータを企業さんの商品やサービスの開発に活用していただいた結果生まれたものですね。岩木健診で得られたデータは住民の方、生活者の方の健康づくりに貢献できるような長期的な戦略のために企業さんと共有していて、おかげで測定の簡易化や精度の向上が進んでいます。
EL:デジタル機器の活用でさらに精度の向上と時間短縮が実現するなら、同じ内容で手軽に健診を実施できる地域も増えていきそうです。それこそ、QOL健診が全国へ広がって欲しいですね。
村下教授:そうですね。そのためにもデジタル機器の活用、ひいてはDX(デジタルトランスフォーメーション)化は重要になるでしょう。
今行っているのはあくまでも集合的な健診で、どこかに集まっていただくというスタイルだと高齢化が進むうちに難しくなっていくかもしれません。コロナ禍で岩木健診が縮小実施したように、感染症の流行で実施できなくなるリスクもあります。
なので、現在は様々な先端技術を駆使して自宅にいても健診と同じレベルのことがわかって、オンラインでアドバイスを受けたり、フォローアップできる仕組みを作ろうとしています。自宅や職場でのセルフモニタリングでデータを蓄積し、そのデータをもとに健康未来予測AIがアドバイスを行うわけです。
現在、DX化によって完全リモートで行えるようにした「セルフモニタリング式QOL健診」の開発にも取り組んでいます。
スマホやスマートウォッチの登場で、一人ひとりの健康状態はある程度はわかるようになりましたが、今の技術では詳しい健康データまではさすがに取れません。ですが今後、リアル社会にいる人物の分身をサイバー空間上に作り、本人が何を食べたか、どんな運動をしたかがアバターに記録されるようになれば、リアルタイムに未来の予測が行えるようになります。
仮想空間でシミュレーションされた結果が常に現実世界の本人へとフィードバックされ、より長く健康的な生活を保てるような選択肢が提示される。こういった未来的なヘルスケア、健康づくりの世界がDXやAIを活用すれば実現できるのではないか、と考えてヘルスケア分野のデジタルツインの実現を目標にしています。
EL:セルフモニタリングだけで健康に関するアドバイスが逐次得られるとなれば、モチベーションも保ちやすいのではないかと期待が持てます。
それに、そこまで完全なDX化ができれば、本当に国も地域も問わず弘前発のウェルビーイング社会モデルを広めていける可能性が出てきますね。
村下教授:ローカルからグローバルへと広げられることは意外に多いんですよ。
私はSDGsの目標3「Good Health and Well-Being(すべての人に健康と福祉を)」や、目標11の「Sustainable Cities and Communities(住み続けられるまちづくりを)」の実現に向けて、弘前から始まった健康づくりのプロセスを世界へ広げていきたいと思っています。
現在、世界的に見ても健康格差はかなり広がっているといわれますし、特に途上国との差は顕著です。それでも、やはり誰もが健康的で幸せな生活が送れるようにしていかなければいけません。そのための活動の一環として、我々はベトナムでもQOL健診を実施しています。
今後DX化が進んで健診を完全リモート化できれば、いくつかの道具と組み合わせるだけで日本から海外の人をフォローアップできる可能性もあります。それに、日本一の短命県である青森県で実践した健診だからこそ、健康的な支援やサービスが及ばないような途上国でも当てはまる部分は多いはずです。
弘前で実証した効果が出るまでのプロセスを、全国、そして世界へと広げて健康づくりに貢献する。そうやって、SDGsの目標にも掲げられている健康・まちづくりによって地域全体が健康的になり、活性化していくような社会を実現したいと考えています。
プロジェクトが自走するにはエコシステムの構築が重要
EL:素晴らしい取り組みだと思います。本当に、日本でも有数のプロジェクトですね。
弘前大学COIをここまで育てるために、村下先生が特に意識して取り組まれたことはあるのでしょうか?
村下教授:研究に対する信頼性も含め、積極的に情報発信をして認識してもらうことですね。
弘前大学COIの根幹となる健診を長く続けるためには、やはり資金も必要です。だからといって研究資金は大学が単独で出せるものでもないので、いかに外部から資金を集められるかが重要になります。COIのように政府系機関から競争的研究資金を獲得することもできますが、それだけでもやはり難しいですし、国の資金には期間が決められていて数年で終わることも多い。数年経って資金提供が終わった後は、自立的に運営していかなければならないわけです。
岩木健診であれば、「研究の目的を達成したから終わりにします」では協力していただいている住民の方に対して本当の意味では貢献できませんし、責任も果たせません。
やはり責任を持って住民の方に応えていかなければならないので、長く続けられる体制が求められます。そこで必要なのが、公的な資金だけに依存せず自立的に動いていくエコシステムの構築です。つまり、民間の資金が継続的に入ってくる仕組みを作ることが重要なんです。
EL:エコシステムの構築は様々な分野で試みられているものの、なかなか難しい印象があります。
村下先生は弘前大学COIを中心としたエコシステム作りにおいて、どのような取り組みをされたのでしょうか?
村下教授:エコシステムの構築にあたっては、私自身が企業さんを訪問して共同研究の提案をしていましたね。
ただ、地方大である弘前大学には東大や京大ほどのネームバリューはないので、初期の頃は資金力のある大手企業さんと提携することはなかなかできませんでした。そこで転機となったのが、COIで採択されたことです。
COIは政府の大型プロジェクトですから、研究資金が増えたことで検査の項目数も大幅に増やせるようになりました。そうしてより魅力的になったデータ群をもとに、戦略的な情報発信を行ったんです。いわゆるマーケティングやブランディングのようなことをして、社会的認知度の向上にも努めました。
さらに決め手になったのは、様々な研究実績が出来てきた頃に政府の第1回「日本オープンイノベーション大賞」で内閣総理大臣賞を受賞したことです。ほかにも「イノベーションネットアワード2020」では文部科学大臣賞、「第7回プラチナ大賞」大賞・総務大臣賞といったように、政府系イノベーションアワードで席巻したことで一気に認知度が高まったんです。
結果、弘前がすごいらしいと噂になって、いろいろな企業さんが一気にプロジェクトへ加わったという流れですね。
自ら積極的に行動することで発信力は何倍にも向上する
EL:やはり、どんなに優れた内容の研究であっても、自ら行動し発信することは欠かせないと。認知度の向上はビジネスでも重要ですが、研究においても資金を集めるためには大切になるのですね。
村下教授:そうです。もちろん、研究の信頼性を高めるためには大きな成果を出すことも求められますよ。
ですが、個別の研究を深掘りして価値を高めていくだけでなく、プロジェクトとして社会へ向けて戦略的に発信を行えば、当然フィードバックがきます。そのフィードバックから世の中が求めていること、ニーズを読み取って次の研究につなげていくこともできますから。
戦略的な発信というのは、プロジェクトのマークを作ってブランディングしたことや、毎週のようにビックサイトやパシフィコ横浜などの大きなステージで講演していたこともそうです。そうやって大きな講演をしていると、企業トップの方も来ているので、弘前の知名度も上がって次に何をやるのかという部分も注目してもらえる。アカデミアは基本的に学会でしか発表しなくて、学会に足を運ぶ方というのは企業さんの中でも研究者がほとんどです。つまり、実際にお金を出す事業部門や経営戦略部門の方に対して発信するには、そういう方が来るところにこちらから出向かなければいけないわけです。
EL:弘前大学COIは、民間企業からも年間5億円程度の投資を集めていると聞きます。1つのプロジェクトに紐付いてこれだけの資金が集まっているのは、日本では前例がないことだといわれていますが、投資のきっかけは村下先生の発信からだったのですか?
村下教授:そうですね。皆さんもよく知る大企業さんを例に挙げると、ビッグサイトでの講演が終わった後に副社長さんが私に声をかけてくれたんです。
そこで副社長と少しお話ししたところ、後日社長ともお会いすることになりましてね。やり手の社長さんで非常に多忙だったはずですが、すぐに日程調整をしてくれて、2週間後、本当に自らいらっしゃったんです。これは本気だなと思っていたら、あれよあれよという間に資金提供がその場で決まった、なんてことがありましたよ。
とはいえ、これは少し特殊な例ですから、発信後も受け身で待つのではなく自ら動くことが大切です。なので、企業さんたちがお金を出しやすいようにデータを共同で解析できる独自の仕組みも作りました。
研究そのものに社会的な意義があったとしても、持続性を保つためには多くの人から興味・関心を集めて、お金を出してもらわなければいけません。イメージ戦略だけでも、中身だけでも駄目で、両軸があって初めて価値があるんです。
EL:貴重なお話、ありがとうございます。最後に、読者の方に向けてメッセージをお願いできますか?
村下教授:高齢化によって、2030年にはヘルスケア分野が年間37兆円規模にまで膨れ上がり、今後の日本経済を左右する重要産業になるといわれています。
また、我々は将来、人々が人生を楽しみながら健康になる「ヘルスジャーニー(健康物語)」の実現を目指しています。一人ひとりの健康に対する意識が向上し、行動が変わっていけば、やはり産業としての規模は拡大していくでしょう。
そこへ企業さんが健康資本に注目して投資を行えば、健康への関心が高まるとともに地域経済が活性化し、さらなる産業発展をしていく可能性もあります。ぜひ、今後のヘルスケア分野に注目していただくとともに、自身の健康づくりにも目を向けてみてください。
弘前大学COIや岩木健康増進プロジェクトの運営のお話は、経営面からも非常に参考になる内容でした。
事業を成功させるには協力していただく方との信頼関係や、戦略的な発信力が求められることは研究でもビジネスでも共通しています。
また、今後ますます拡大していくヘルスケア産業は起業経営者・起業家にとっては大きなビジネスチャンスとなる可能性があります。弘前大学COIを筆頭に、関連するプロジェクトを注視しておきたいですね。
(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)