東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院
栗山 直子 助教
教育現場におけるプログラミング教育の現状、そして企業支援との関わり

エモーショナルリンク合同会社のアイキャッチ画像用ロゴ

昨今、AIを始めとしたIT技術の急速な進展によりプログラマーなどの人材が不足し、そうした人材を育成すべくプログラミング教育が世界的に重要視されています。

また、このプログラミング教育は論理的思考力を鍛えるという効果も見込まれているため、日本でもとうとう2020年から現在にかけて小中高でプログラミング教育の必修化になるなど、公教育での取り組みが開始されました。

そこで今回はこのプログラミング教育の意義や教育現場での実態、今後の可能性について、東京工業大学の栗山直子先生にお話を伺いました。

取材にご協力頂いた方

東京工業大学
リベラルアーツ研究教育院/環境社会理工学院
社会人間科学系 社会人間科学コース 助教

栗山 直子(くりやま なおこ)

専門は教育心理学・認知心理学。人の推論や問題解決に関心をもって研究しています。現在はプログラミング教育で育成される児童の思考力に関心があります。

主な著書
『メタファー研究の最前線』(分担執筆、ひつじ書房)
『6歳からはじめるプログラミングの考え方』(児童用教材、分担執筆、アルク)
『問題解決のためのデータサイエンス入門』(分担執筆:4章担当、実教出版)
『教師と学生が知っておくべき教育方法論・ICT活用』(分担執筆:11・12・13章担当、北樹出版)

目次

プログラミング教育が育むのは論理的思考

エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):栗山先生は現在「児童の思考力を育成するプログラミング教育」という研究の中で、主に小学生向けにプログラミングの授業をされていらっしゃいますが、子供のうちからプログラミングを学ぶことで何ができるようになるのでしょうか?

栗山先生:一言で言えば「論理的思考が身に付く」ということだと思います。例えば、何かを学んだり運動の技を習得しようとする時、始めから何も問題なくできてしまうことってそれほど多くないですよね。むしろ試行錯誤したり、失敗したりして、最終的に成功まで辿り着く事の方が多いと思います。そういった時、どこで失敗したのか、そこにおいて何を間違えたのかを理解することがとても大事だと思うんです。ただ、頭の中のことって可視化できないから、失敗している状態を理解するのに時間がかかって、次の展開になかなか進めないんですよね。その時役に立つのが、プログラミング学習によって身につく「論理的思考」なんです。

EL:と言いますと?

栗山先生:なぜなら、プログラミングは自分の頭の中にある考えを外部へ形に出して「可視化」する行為なので、間違った時やうまくいかなかった時に、可視化された考えのどこを直せばいいかを自分で見つけて解決へ導くことができます。。このような思考を身につけた子供は、学校における様々な教科で物事を考える際も、同様の思考過程によって解決していくことが可能になるのではないかと思います。

プログラミング教育導入の背景①:世界的な流れ

EL:なるほど。確かに、何かを行ったことの順序を最初から最後まで全て頭の中で思い描くことができれば、どこに問題があったのかを見つけることは簡単ですよね。では、そもそも公教育にまでプログラミング教育が導入された背景はどういったことがあるのでしょうか?

栗山先生:世界の様々な国でIT人材を多く生み出すための政策として、プログラミング教育の導入を進めていたことが最初のきっかけだと思います。例えば、イギリスでは国がBBCと協力して11歳から12歳までの子供にmicro:bitという小さなコンピューターを無償提供していますし、タイでもイギリスに習いマイクロビットと似た小さなコンピューターを2018年に20万台ほど子供に配布するなどの取り組みを行っておりました。こうした事実から考えても、両国ともプログラミング教育に大変力を入れていることが分かります。

また、エストニアはソ連から独立後、将来を見据えて一早くITを教育に取り入れてきたことで有名な国です。かの有名な通話アプリ「スカイプ」を作った企業を生み出した国も、エストニアです。エストニアでも2012年にプログラミング教育が開始されており、より世界が求める人材育成を強化しているんですね。

EL:なるほど、諸外国ではプログラミング教育に早くから注目し、多くの子ども達に教材提供をするなどして随分手厚い対応をしていたとは驚きです。

栗山先生:日本政府もこういった流れに沿って、来るAI社会などにおけるプログラミング人材の不足に備えるべく、「GIGAスクール構想」という政策を打ち出しました。ただ日本の小学校段階のプログラミング教育では、全ての子供達をプログラマーにしたいという訳ではなく、プログラミング的思考、つまりプログラミングの考え方、すなわち「論理的思考」を身につけさせることを一番の目的としているんですね。なぜなら先述の通り、この論理的思考を身に付けることは、子供たちにとってあらゆる科目を勉強する際にも非常に役立つと考えられているからです。

プログラミング教育導入の背景②:デジタル教育の遅れへの危機感

EL:そうなんですね。するとプログラミング教育を導入する前、国や専門家などがそれまでの教育において世界と比較した時に、日本の教育の弱さや危惧するようなものがあったということでしょうか?

栗山先生:その通りです。一つには、OECD(経済協力開発機構)による加盟国72ヵ国で行われる国際学力調査テストの「PISA(※)」の結果を危惧していたのかなと思います。

※PISA(ピサ):義務教育修了段階(15歳3か月以上16歳2か月以下)において、これまでに身に付けてきた知識や技能を、実生活の様々な場面で直面する課題にどの程度活用できるかを測るための学習到達度に関する調査。3年に一回、対象校において実施される。

EL:PISAと言えば、各国の子ども達の学力を測る調査として世界的にも非常に評価されている調査ですよね。

栗山先生:そうです。日本も長年PISAに参加して、世界における日本の子ども達の学力順位に注目してきました。このPISAで2018年、読解力の項目において日本は前回の6位から11位に後退し、これをきっかけに教育界で問題提起されたのが「日本のデジタル教育の弱さ」でした。というのもこの年のPISAでは、それまでの紙媒体からパソコンをクリックして回答するCBT方式に変わったため、見事に日本の義務教育においてのデジタルへの対応の弱さを露呈した結果となったのです。

EL:なるほど。すると当時の日本は、デジタル教育をあまり重視していなかったということでしょうか?

栗山先生:全く重視していなかったわけではないと思いますが、理由として考えられることとしては二つあります。まず一つは、ICT教育を制度として取り入れていたにも関わらず、その実態は教員の自主性に任せていたことだと思います。学校の先生は各自治体や校内研修でそれぞれがICT教育を学び、その実施及び評価も各先生方や学校単体に任されているような状態であったこと、1人一台端末の整備が遅れていたこともあってパソコンが苦手な先生方はICT教育をそれほど実施しなくても問題がなかった状況でもありました。

そして、日本でデジタル教育が遅れたもう一つの原因は、子ども達が家庭などの学校外での生活において、PCなどのデジタル機器と既に関わっていた状況だったからではないかと思います。例えば日本では、家庭においてwindowsなどのパソコンが既に普及していたり、今は誰もがスマートフォンを持つようになりましたよね。これによって、子供であっても使い方にすぐ慣れてしまう、逆に大人が制限をかけなければ半永久的にゲームなどを楽しめてしまう状況がある訳です。こうした現状に対して日本の教育界では、あえてデジタル教育を施す必要性があるのかという油断があったのかもしれいないと思います。

この2つが、国が学校にデジタル教育をハードとして投入することも、制度として学習指導要領に組むことも遠ざけてしまった理由だったのではないか、と思いますね。ただ以前のこの状況は、世界と日本との間に大きな教育格差を生んでしまうことが懸念される状態であったと思います。

EL:そういうことだったんですね。

栗山先生:その後コロナがやってきて「どうやって授業をやるんだ?」と教育界で大混乱が生じたんですね。これをきっかけに政府が重い腰を上げ、一気に子ども達一人に一台タブレット端末が配布されてオンライン教育を進める環境が整ったんです。

EL:つまり、コロナはある意味で強制的にオンライン教育を進めたブースターのようなものだったのですね。

現状、プログラミング授業は子供達には好評だが教師達の負担は大きい

EL:ちなみに、現在のプログラミング教育の実情はどういったものなのでしょうか?

栗山先生:私の方で行っている小学生への授業につきましては、私の授業と履修している東工大生やプログラミング教育に関わるサークルの学生たち、他にロボギャルズ(Robogals)という学生が運営している教育団体の学生達と一緒に出前授業をしています。

また、先ほども申し上げた通り現状ではプログラミング教育は「プログラミング」という教科が加わった訳ではありません。したがって、各教科においてプログラミング学習が関わることができるような場面をピックアップした指導案を学校側に組んでいただき、それに沿った形で先生方と共に授業を展開しています。

指導案の例については、文科省・総務省・経済産業省が共同で出している「みらプロ2020」のHPに沢山提案がありますので、そこから自由にダウンロードして使用することができます。また、このサイトでは国の方で授業へ講師派遣として協力してくれる企業や教材提供をしてくれる企業などの紹介もしていて、現場の先生達の負担を少しでも減らすための工夫がなされています。

EL:なるほど。プログラミングの授業を行う先生方をサポートする環境がもう出来上がっているんですね。

栗山先生:そうですね。また私の出前授業では、パソコンやタブレットを使って学習する場合には「スクラッチ」というMITが開発した教育用プログラミング言語をベースとしたシステムを主に使います。他にも、先ほどご紹介したマイクロビットという小さなコンピューターの簡易的基盤のような端末だったり、レゴという企業から出ている小さなロボットを組み立てて構造を学ぶ教材を使うケースもあります。

EL:そうなのですね。子供達や先生の反応はいかがですか?

栗山先生:子供達は特に何か困難がある様子はなく、楽しく積極的に取り組む姿勢が見られます。授業が3、4人程度の少人数グループで一人一人がワークに参加できる状態なので、いわゆる体験型に近いこともあって取り組みやすいのでしょう。先生方もプログラミングの授業を行うこと自体はその他の体験型の授業と大きな違いは無いので、興味深く積極的に授業に臨まれているように見られました。ただ問題なのは、現場の先生方にとても負担がかかっている所だと思います。

EL:と言いますと?

栗山先生:プログラミングを授業として取り入れるとなると、先生方にはやるべき作業が沢山発生するんです。企業と一緒にプログラミングの授業を行うことだけでなく、新たな教材を使用することに関しての管理職への相談、各授業計画での調整、事前調査、各学年の先生方との打ち合わせ、企業との打ち合わせ等、考えられるだけでこんなにあります。しかも、これらは通常業務以外にこなさなければいけないのです。加えて、そもそもコンピューター関係が苦手な先生にとっては本当に大変なことだと思うんですよ。。ですので、現場の先生方の負担をどれだけ減らせるか、その上でどこまでプログラミングの授業が各学校で実施できるのか、ということが課題なのかなと思います。

そういった中で、モデル校として学校が指定されていれば、年度当初より計画が敷かれているため実行に移しやすいですし、デジタル教育に強い先生がいらっしゃれば、その先生にお願いして学校全体で取り組みができる、という状況ではないでしょうか。全ての学校で同じようにデジタル教育の指導を行うことができる仕組みは、まだあまり整っていないのが実情だと思いますね。

プログラミング教育普及のために企業ができることは多い

EL:なるほど、プログラミング教育を学校が本格的に実施していくには、少し時間がかかりそうですね。となると、今後日本におけるプログラミング教育がより普及していくために、栗山先生が企業に期待することとはどんなことでしょうか?

栗山先生:そうですね、企業側から何かご提案いただけることとしては、プログラミング教育を社会貢献事業の一環としてご検討していただく、ということが一つあるかと思います。というのも、先ほどご紹介した教材やプログラミング学習アプリの多くは、各企業による社会貢献事業として提供されたという側面が大きいように思われるためです。

その一例として、ソフトバンクロボティクスさんがプログラミング教育の開始前に合わせて、Pepperの貸出を無償で行っていたことがあります。現在は有償事業に切り替わってはいますが、全国で沢山の取り組み事例がありますので、一つ注目すべき事例かと思います。

他には、グリコさんが提供しているプログラミングのアプリがあります。こちらは国の推進事業の方にも採用されており、先ほどのみらプロとは別の「小学校を中心とした教育ポータル」というHPに掲載もされています。

また、社会貢献事業ではないのですが、LEGOさんが製作したプログラミング教育を目的とした教材(「マインドストーム」や「WeDo 2.0(ウィードゥー 2.0)」)はとても有名です。個人が購入するものとしては高価なのですが、教材としてはとても優秀なものが出ています。現在はSPIKE(スパイク)というパッケージ製品があります。さらに、アーテックという日本の教材会社がアーテックロボというものを同様に有償で出していますし、ロボット型のものでは二足歩行ができて言葉を話すこともできるクムクム産学協同開発の教材もあります。

EL:なるほど、想像以上に沢山プログラミングに関わる製品がやアプリがあることに驚きました。教育界に手を差し伸べている企業はとても多いんですね。

栗山先生:社会貢献事業以外の企業による活動としては、小学生の習い事としてのプログラミング教室が大変人気があるように思います。オンラインサービスや実際の教室で行われるものまで様々ですから、消費者にとってはご家庭での目的や予算に合わせて選べますし、他の習い事と同じように気軽に始めやすいのかなと思います。その他にも、プログラミング教育を「論理的思考を鍛える学習の一つ」と捉える場合には、そのようなことをテーマにした書籍、ワークショップなども沢山あります。

まとめ

今回は、東京工業大学の栗山直子先生にお話を伺いました。

日本でプログラミング教育が導入された背景には、世界的なプログラミング人材不足への対策、子供達の論理的思考力の育成などといった文科省の意図に加え、世界の国と比較した際の日本のデジタル教育への対応の遅れに対する危機感がありました。

そしてこのプログラミング教育は、子供たちにとって楽しく学べるという好ましい面がある一方で、実施においては現場の教員達に多くの負担がかかります。

今後プログラミング教育を進めていく上では、教員の負担軽減を図りつつ取り組める学校の実施体制を整えることが、早急な課題であるといえます。

しかし、ここに企業側の立場として関われる余地は非常に多く、社会貢献的側面としてパソコンやタブレットなどを使うサービス提供、習い事としてのプログラミングスクールの開講、そしてプログラミング的思考を育成する玩具の販売やコミュニティの提供など、すでに様々な事例があります。

プログラミング教育という分野は、多くの経営者にとっては幅広く事業展開ができる余地の大きい、非常に魅力ある市場と言えるでしょう。

(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)

この記事を書いた人

目次