流通科学大学 商学部 教授
上田義朗氏
経済動向の心理的要因に注目する〜ジェンダー平等に期待〜

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ご執筆いただいた方

流通科学大学商学部 教授
上田 義(うえだ よしあき)

神戸大学大学院経営学研究科博士課程を経て、ベトナム・ラオスJICA専門家、中小企業大学校講師、日本証券経済研究所研究員として活動。その後、流通科学大学助教授に就任し、現在に至る。日本ベトナム経済交流センター副理事長、大阪商工会議所国際ビジネス委員会委員、アジア経営学会会長などを歴任。

目次

100円のボールペンを1万円で売るためには?

株式市場で株価変動について講義する時、次のような質問を学生にする。「今、私の持っている普通のボールペン、価格は100円。これが私なら1万円で売れる。どのような場合、売れると思いますか?」

ある学生は「1万円で講義単位をもらえる」と言うが、そんな不正行為は厳禁。また「ボールペンに付加価値を付ける」という回答もあるが、そうなれば普通のボールペンでなくなる。「先生が有名になれば、先生のボールペンがブランド化して1万円でも買う人がいる」という迷答があっても良いと思うが、そういうことはだれも想像すらしない。

私が想定した正解は、たとえば「1万千円で売れると思う買い手を見つければ良い」。100円の価値のモノを1万円で買っても千円は儲かると期待する買い手がいれば、1万円で売れる。さらに1万1千円の買い手は1万2千円で売れると期待したから買う。このような期待の繰り返しが継続すれば、どんどん価格は上昇する。ただし無限の上昇はありえない。その限界は資金量が上限に達した時である。

さらに言えば、ボールペン1本が1万円と一般に認知・周知されると、たとえば200万円の自動車をボールペン200本で買うことができる。これはボールペンが通貨と同じ役割になったことを意味する。もちろん実際にそれはありえないが、類似の現象はある。1本数万円の日本製ウィスキーが、なぜ中国では数千万円で取引されるのか。中国における高額贈答品として貨幣に代替して流通していると考えられる。いつでも通常の貨幣に交換できるし、また必要があれば、飲み干して終わりである。同様に日本史の中で安土桃山時代を振り返れば、単なる「茶器」が領土や黄金に代替する役割を果たした。

日本の「バブル経済」を回顧する:心理的要因の教訓

このように経済活動と言っても、それは個々の人間行動の集合であって、けっして自然現象ではない。人間がもつ信頼・期待・欲望・愛情・信念といった不確実な要素が経済活動には含まれている。それを一般に社会現象と呼んでおり、自然科学とは異なった独自の分析や洞察の方法があって当然である。一般に経済学は「経済的合理性」を人間行動の前提にするが、実際はそうではない。人間の行動は複雑であり、単純に割り切れない。理屈では納得していても、実際に行動できないことはだれもが日常に経験している。

私の世代(1955年生まれ)は「バブル経済」(1980年代後半から1990年過ぎ)を経験している。1989年12月29日に日経平均株価は史上最高値38,915.87円に達したが、今日まで高値更新ができないでいる。その当時は、大学生や主婦が初めて株式に投資する状況であった。これは、いよいよ株式投資に向かう資金が上限に迫っていることを意味している。だれもが株価暴落を予想したが「まだ上昇する」という楽観論が大勢であった。人間の習性として、自分に都合の悪い厳しい現実を直視したくない。また「同調圧力」も影響する。みんなが買っているから大丈夫という気持ちである。そして次の買い手がいなくなった時点で、株価の暴落が始まる。「早く売らなければ損失が拡大する」と考えて売りが殺到する。この買い手は、いわばトランプのジョーカーを最後に引かされたのである。いわゆる「バブル」の発生と崩壊は以上のような心理的要因でも説明できる。

ここで参考までに「循環取引」という違法行為を紹介しよう。企業が売上髙を水増しするために身内の企業間で何度も取引を繰り返すことである。前述の株式売買の説明は、それが大規模で不特定化しただけであり、そのメカニズムは類似している。しかし決定的に異なるのは、前者は人々の「期待」が原動力であるが、後者は特定企業間の恣意的な「悪意」に基づいている。

上記の中で「だれもが暴落を予想した」ということにも注目したい。それにも関わらず、株価を買い続ける人々が存在した。人間は「変わることが嫌い」というような心理を一般に持っている。簡単に言って、変化することが面倒くさいのである。現状維持で何とかやって行けると判断する。しかし「ゆでガエル」の比喩を想起すればよい。水から熱湯に徐々に上昇する環境に適応したカエルは、最後には安楽死に至る。ある時点で思い切って変化を求めなければ、おそらく日本も「ゆでガエル」と同様の運命を受け入れざるをえないのではないか。

世界を席巻した新型コロナ禍が終息しつつある時点で、改めて客観的に日本の各種の経済指標を見れば、先進国の中で日本経済の低迷・停滞が周知となった。名目GDPは世界3位とは言え、ドイツに抜かれる懸念があり、1人当たり名目GDPは世界27位でイタリアと韓国が後に迫っている。日本経済の先行きに多くの国民は不安を持ちつつある。

事実、日本経済のデジタル化(DX)は総じて遅延しており、再生医療や遺伝子研究は世界先端の水準と言っても研究予算の規模が米国と比較しても極めて小さい。シンガポールは高額の待遇で世界の研究者を自国に集めている。かなり以前から少子高齢化が指摘されてきたが、その対策は不十分ながら始まったばかりである。

それでも日本は大丈夫という根拠のない楽観論が蔓延しているように私には見える。たとえばWBCで「侍ニッポン」が世界一になったとしても、日本人の国民性や気質が世界から賞賛されていると言っても、それは間違いなく素晴らしいことだが、その意味は、現状維持で良いという錯覚を生むかもしれない。もう少し「ゆでガエル」状態で我慢できるという含意があるようだ。

期待される日本経済の意識変化:そのキーワードは

財務大臣を長く務めた麻生太郎氏(現:自由民主党副総裁)は、この心理的要因によって経済動向を説明することが好きだったように思う。国民や企業が経済の先行きに楽観論を持てば、消費も投資も増加して景気は良くなるという主張である。これに対して政府の責任回避という批判も常にあった。ただし、この麻生氏の指摘は必ずしも間違ってはいない。

以上で私は、人間の心理的要因に注目して経済活動を見てきた。その観点から今後の日本経済を見れば、「ゆでガエル」の悲観論しかありえないと思う。現状維持や前例踏襲を好む人間の習性が、日本経済の成長を拒む最大の阻害要因のように思われる。ましてや同調圧力が強い組織風土も日本には根強くある。こういう状況を「マスコミが悪い」「政府が悪い」「日本人の国民性」と責任転嫁して安心する時期は過ぎたのではないか。われわれ自身が変わらなければならない。

事実、人々の意識も変化していることも間違いない。SDGsの目標5「ジェンダー平等」が契機になり、長らく雇用・賃金の差別を受ける側であった女性が、積極的に発言・行動するようになった。それに加えてESG投資の観点から、大企業が先導して女性の役員や経営幹部を起用している。そうしなければ、グローバル企業とみなされない懸念がある。これらを私は、かつてない日本における意識変化の潮流と考えている。

今の20代・30代は男女平等が当たり前の世代。「子育て支援」の充実によって男性も育児休暇が取得しやすくなり、女性の働きやすさが見込める(キャリアアップ・賃金増・世帯収入上昇)。さらにLGBTQの人権に対する配慮は、男女二元論を脱した新たなビジネスチャンスも生まれるだろう。ジェンダー平等が「ぬるま湯」の日本人の意識を刺激・啓発し、日本経済の成長の起爆剤になることを期待したい。

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