組織の運営に迷った時、歴史上の人物が行った施策は非常に参考になります。
特に、組織の運営方針や部下との接し方に悩んでいる時は、一度過去の歴史に目を向けて振り返ってみると思わぬ発見があるかもしれません。
そこで今回は、東京大学の本郷教授に組織の人事や統制の方法についてインタビューしました!
取材にご協力頂いた方
東京大学 史料編纂所 教授
本郷和人(ほんごう かずと)
1960年・昭和35年、東京に生まれる。
1983年東京大学文学部卒業、1988年東京大学大学院単位取得退学、史料編纂所に助手として入所、同所助教授を経て、現在同所教授。
『大日本史料』第五編、鎌倉時代の編纂を担当する。
1996年に『中世朝廷訴訟の研究』で博士(文学)号取得。石井進と五味文彦に師事し、日本中世政治史においては当為(タテマエ、理想論)ではなく実情(ホンネ)を把握すべきとし、清水三男の評価を通じて日本中世の「統治」のあり様に言及する著作を発表する。
従来の権門体制論を批判し、東国国家論を唱える。
著書には『中世朝廷訴訟の研究』東京大学出版会、1995年『新・中世王権論 武門の覇者の系譜』新人物往来社、2004年/文春学藝ライブラリー(文庫)、2017年 『人物を読む日本中世史 頼朝から信長へ』講談社選書メチエ 2006年 などがあり、昨年は『日本史のツボ』文春新書が話題となった。
信長は才能を偏重する徹底した能力主義
佐藤:それでは、早速ですが織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人それぞれの人事の特徴について教えていただけますか?
本郷教授:信長は才能一発で、才能さえあれば出世させるタイプです。一発大きいところを狙うなら信長型でしょう。
といっても信長型は仕事ができないと蹴られるとか今やったらパワハラですし、織田家ってまさにブラック企業なので、参考にするのは人格までにしてくださいね。
信長の場合、雇う側、雇われる側ははっきり線引きされていて、徹底した能力主義です。能力があれば取り立てて、能力がなければクビにする。先代から功績を積んできた重役だったような人も、能力がなければ容赦なくクビです。その代わり、能力のある人間には大盤振舞をします。
これって事業は拡大するんですが、最後どうなるかといえば裏切られる。才能で引っ張り上げるということは、出世させてもらった彼ら自身も才能があると自覚しているわけですからね。
佐藤:確かに、信長の人生は裏切られてばかりでしたね。
本郷教授:信長の生涯を振り返ると、これでもかというくらい裏切られていますよ。
最初に超美人の妹を嫁にやった浅井長政に裏切られ、それから信長が来る前に近畿地方で強い勢力を持っていた松永久秀も有能だということで俺の下で働け、と言ったら2回ぐらい裏切られ、自分で出世させた荒木村重にも裏切られ、最後の最後に明智光秀に裏切られて殺されちゃいました、と。そうやってずっと裏切られる人生だったんですよね。
なので、安定的に事業を拡大して後継者に譲り渡すというところを目標にしているなら、信長のタイプを取ってはだめです。だから、秀吉や家康は才能による抜擢は行っていませんね。
秀吉は戦働きよりもデスクワーク重視
佐藤:すると、秀吉はどうやって人事を決めていたのでしょうか?
本郷教授:秀吉の人事は少し変わっていて、武将を選ぶ基準がデスクワークなんですよ。
武将なんだから戦ってなんぼ、と思うじゃないですか。でも、よくよく考えれば武将1人が頑張っても勝てるわけがないんです。その武将がどんなに勇敢でも、戦場で10人に囲まれたら簡単にやられてしまう。戦争する能力というのは、実は政治であり経営、経済なんです。どうやって優れた武器を買うか、どうやって兵隊を増やすか。秀吉はそこをよくわかっていたので、彼が育てたといわれる武将・加藤清正には20万石与えたんです。
佐藤:20万石というとすごい褒賞ですよね。
本郷教授:秀吉がここまでやるのはよほどのことですよ。
加藤清正はもともと、3,000石を与えられていました。これは「賤ヶ岳の七本槍」全員に与えたサマリーだったんですが、今でいうと年間3億円くらいでしょうか。ただ、加藤清正はその後しばらく戦いでは武功を挙げていないんです。虎退治などで強いイメージがあっても、彼の20万石への出世は戦によるものではなかったんですよ。
佐藤:では、何が加藤清正の出世の要因となったのでしょうか?
本郷教授:それこそが、先ほどお話ししたデスクワークなんです。
同じ「賤ヶ岳の七本槍」でも、脇坂安治はデスクワークを命じられて悲鳴を上げました。「槍働きは得意ですから、戦場に連れて行ってください」と脇坂が言ったら、秀吉は「何のためにお前にその仕事をさせていると思っているんだ。木を伐れ、材木を運べ」と怒って、結局3万石までで止まっています。
ですが加藤清正は直轄地の代官であったり、統治などのデスクワークで成果を出した。その成果を認められて秀吉に20万石を与えられ、朝鮮出兵では一足飛びに指揮官として任命されるという大出世を果たしました。こうして見ると、加藤清正の抜擢がいかに目を見張るものだったかがわかるんですよ。秀吉はこうやってデスクワークを基準に人事を行っているんです。
佐藤:なるほど。確かに武将個人が強くてもできることは少ないですし、戦全体を見ることができる指揮官の方が人材としては重宝しますね。
家康は部下の声に耳を傾ける人使いの巧い上司
本郷教授:ただ、家康は逆で槍働きを評価して徐々に昇進させていくスタイルでした。
家康は信長と対になるようなイメージで、彼は家臣の言うことをよく聞くんです。
ある有名なエピソードがあって、家康と彼の懐刀である本多正信のところに、家臣の1人が「意見が言いたいので時間をください」と10個ほど意見を言っていったんですね。それを家康は「ふんふん、そうかそうか」と聞いていて、「意見を言ってくれてありがとうな」と送り出した。
それを聞いていた本多正信は「殿、あの10個の意見のうち、使えるものは1つか2つしかございません。なぜ殿はそんなにうんうん、と聞いていたのですか。あのようなこと、殿はよくご存知でしょう」と言ったんです。そうしたら、家康は「お前の言っていることはつまらない、時間の無駄だと言ったら、臣下たちは私に意見を言ってくれなくなる。それではまずいから、聞いているふりだけでもしないといけない。皆から広く意見を求めているという姿勢を見せることが大事なのだ」と答えたんです。
佐藤:部下の声に耳を傾けることを忘れない姿勢は素晴らしいですね。同時にとても家康らしいというか。
本郷教授:ただし、家康はケチですよ。そこは徹底していて、功績を挙げた人に対してご褒美はあげるけど、決して大盤振舞ではなかった。
もっとも、そこで家康自身が派手な生活をしていないから、家臣も「殿があんな生活をしているなら仕方ないか」という感じで見せているんですね。ちなみに、家康は自分の経営パートナーと呼べるような本多正信に2万石しかあげていません。当時の家康の家来たちは、トップ層であれば10万石くらいはもらってるんです。その次のグループでも5万石くらいですから、本多正信はさらに下なんです。
佐藤:本多正信というと重臣のイメージでしたが、なぜそんなに石高が低いのでしょうか?
本郷教授:本多正信の石高は、家康の人使いの巧さが出ている例ですね。
日本は仕事をする人と給料をもらう人を別にするという感覚が結構あって、家康あたりから確実にそれを意識しているんですよ。
私が聞いた話では、アニメ制作会社のProduction I.Gの社長がそうでした。若い人たちにはその人の責任でどんどん仕事をさせて、名前を出して実績を積ませる。ただ給料はあまり上げないで、年配の人たちには仕事の表舞台からは退いてもらい、その代わり給料は弾むと。
発言力の大きい人間には金は出さない、金を持っている人間には発言させない。まさに今の政治家と官僚の関係です。信長は優秀な人間には給料も弾むし発言権も与えるから、事業は拡大しますが、そうすると結局最後裏切られてしまう。権力の分散は大切なんですよ。
もっとも、現代的に見たら秀吉の方が正しいんですが、システムとしては家康の方がしっかりしたところもあります。結局のところ、経営者の感性というか、人を使う時、システムを構築する時には正解はないんです。なので自分自身が良かれと思って選択することも、時には大切だと思います。
「ビジョン」を掲げることで目標を明確に
佐藤:ありがとうございます。ここまで3人の人事について重点的にお話しいただきましたが、組織のリーダーとして見た場合、彼らにどういった特徴があるかについても教えていただけますか?
本郷教授:端的にいえば信長、秀吉は天才型で、家康は努力型です。信長と秀吉はアイデアがぽんぽん出てくるタイプですが、一方の家康は、閃きというより努力を積み重ねるタイプでした。
天才という言葉はあまり安売りしたくないんですが、信長と秀吉は本物の天才だと思います。その理由というのが「ビジョン」の有無ですね。信長は「天下布武」というビジョンを掲げたんですよ。「天下布武」といえば誰もが「ああ、なるほど」となりますし、家臣も「殿はこう考えているんだ」とわかる。あそこまで見事なビジョンを掲げた人って他にいないんじゃないでしょうか。
秀吉も、信長がビジョンを掲げて成功したのを見ていたので、自分もとなって「天下惣無事」を出した。戦争はもう終わりだ、惣無事令を出した後に戦争をしたら、正しいか間違っているかは詮索しないで俺が相手になるぞ、と。これが秀吉のビジョンで、戦国時代は終わりを告げるわけです。
そこでいくと、家康は天才ではなかったんでしょうね。「厭離穢土(おんりえど)」というのを掲げはしたけど、具体性に乏しい。なので、ビジョンを掲げるためのコピー作り、ひとつの言葉で全てを表すことも能力のひとつと考えると、信長はやはり天才だなと。
佐藤:企業でいうところのキャッチコピーのようなものですね。企業でも、企業理念がしっかりしているところは安定する部分があります。
信用の積み重ねで上に立つに相応しいと証明した家康
本郷教授:家康はビジョンを考えようと思っても、考えつかなかったんでしょうね。
先ほど言ったように彼の人生は閃きではなくて、地道な積み重ねなんです。今風に言えば信用の大切さですよ。
商売している方は信用の大切さって本当によくわかってらっしゃると思いますが、お金がなくなって銀行に貸してくれ、と言った時に「あなたは信用あるから貸しましょう」となるか、「信用に傷があるので難しいですね」となるか。そこは信用の有る無しが響くわけですよね。家康はその信用を積み重ねてきたんです。
彼は信長を1回も裏切らなかった。あれだけ裏切られている信長を裏切らなかったんだから、この人は信用できる、と周りにも思わせたのは大きいですよ。秀吉に対しても「今日からあなたの家来になります」、と言ったら裏切っていないでしょう。
佐藤:そこまで信用を積み重ねれば、部下からも裏切られないですね。
本郷教授:実際に、家康の家臣から裏切りは出ていませんね。私は武家の世界で第一人者を決めるのは、家臣だと思っているんですよ。
考え方はいくつかあって、1つ目は神様が決める。2つ目は天皇が決める。そして3つ目が世襲、つまり血の継承です。
なぜ家臣が決めると考えたかというと、室町幕府の6代将軍は足利義教という人なんですが、この人のお兄さんは4代将軍です。実は、4代将軍の息子である5代将軍は若死にしてしまったんです。4代将軍が子どもを作らずに死んでしまったものだから、またお兄さんが将軍をやると思っていたらお兄さんも死んでしまった。それで4人の弟の中からくじで将軍を決めたんです。ただ面倒くさいことに、将軍になるには元服しなければいけないんですが、4人とも出家していたので冠をつけるための髪の毛が生えていなくて、すぐには将軍に任命できなかったんです。
足利義教は政務にすごく前向きな人だったようですが、朝廷や天皇は自分たちが任命しない限り政務をする資格はない、と許さなかった。ただ、当時の力関係としては室町幕府8:朝廷2くらいで、結果的には足利義教が将軍になることは決まっていたわけです。それに、くじって要するに神様に決めてもらうということですが、正直八百長できますよね。4つのくじに全部「足利義教」って書いてあれば良いわけですから。そうなると、神様が決めるというのは表向きで、天皇が決めるわけでもなさそうだ、と。
佐藤:確かに、それでは将軍を決めるといっても根拠に乏しいと思えてしまいます。
本郷教授:じゃあ結局誰が決めるのか、となると、血の継承を踏まえた上で家臣が決めるんだなとなったんです。
つまり、家臣が認めてくれなければ上は上足り得ない。部下が認めなければ上司として機能しない、ということです。中国の古典「荀子」に「君は舟臣は水」という言葉があって、水は舟を浮かばせるが、時として水は舟を覆す、という意味なんですが、将軍と家臣もこういった関係性なわけです。家康はまさにそうで、彼が本当にもう遠慮することはないな、と思ったのは秀吉が死んでから。だけどそれまでの家康は見事に信用を積み重ねているし、この人なら天下人に相応しいと思わせる、そういう生き方をしていたわけです。
佐藤:なるほど。信頼に足る人物だと周囲から認められることで上足り得た、ということですね。最後に、起業を考えている方に向けてメッセージをいただけますか?
本郷教授:以前ベンチャー企業や経営学の先生とお話しした時には、ベンチャーは「チーム秀吉」といった感じで仰っていましたね。
秀吉はそもそも農民の出で家臣がいませんから、彼自身が自分のチームを作っていったわけです。なのでそうやってチームを立ち上げて、天下人になった時にはチーム秀吉で大切なのはデスクワークですよ、と。「天下惣無事」もそうですし、自分自身のビジョンを明確にした上でチームのメンバーにしっかり意識共有することが大切ですね。
まずは自分の能力、向き不向きをしっかり見極めて、どんなベンチャーで起業するかを決めてください。私は以前、ネットライフ生命の方で出口治明さんと対談した際に「私は絶対信長には仕えようと思いません」と言ったんですが、出口さんは「いや、私は信長にこそ仕えたい」と仰ったんですよ。「自分の才能をどう評価してくれるか見てみたい」って。それくらいの熱意を持って取り組めると、より成功に近づくんじゃないかなと思います。
小学校で習う信長や秀吉、家康といった人物も、組織のトップと考えれば起業家や経営者と立場は同じです。
そんな中で三者三様の特徴があり、人事で重視する点や掲げるビジョンにもそれぞれの個性があります。起業・経営にあたって迷った時には、自分がどの人物に当てはまるかを考えると、その後の行動を決める指針となるのではないでしょうか。
「君は舟臣は水」の言葉を忘れずに組織運営を行っていきたいですね。
(対談/佐藤 直人)