東京大学シニアリサーチフェロー
中邑賢龍氏
異質を許容する環境がイノベーションの出発点である

異質を許容する環境がイノベーションの出発点である

インターネットにより世界で共有される情報量は日々増加しており、それに伴い子供に対する教育的価値観も様々なものが発信されています。このような中で、元々多様な価値観を許容する教育環境を持つ米国では日々新たなイノベーションが生まれ、巨大なユニコーン企業が国力を大きく支えています。

一方、戦後から続く画一教育から今なお脱却できない日本では、イノベーションを起こす子供たちが育ちにくいとされています。そんな日本が、今後構築していくべき教育環境とは?そこで今回、子供たちの才能発掘を目的とした活動「LEARN」に取り組む、東京大学の中邑賢龍先生にお話を伺いました。

取材にご協力頂いた方

東京大学 先端科学技術研究センター
シニアリサーチフェロー
中邑 賢龍(なかむら けんりゅう)

専門は人間支援工学。教育は、障害と非障害の線引きをして治療を行うのではなく、まずは、不適応を起こした人に合った最適な環境を提供し、どれだけ能力を引き出せるかを試すべきだと考えている。そのために多様な学びの場を社会にどのように実装するかについて社会活動一体型の実践研究を行っている。

目次

個性を発揮して生きられる学びの場「LEARN」

佐藤:中邑先生が現在取り組まれている「LEARN」について、まずその発足経緯をお聞きしてもよろしいでしょうか?

中邑教授:LEARNは前身のROCKETというプロジェクトの教訓から生まれました。

以前展開した異彩発掘プロジェクトROCKETは、志は高く突き抜けた才能を持ってはいるけれども不登校である子供に対し、自立を促し学ぶ場を提供するものでした。

しかし一方で、ROCKETは「自分は他の子に比べて突き抜けていないから駄目だ」と自己批判してしまう子を生み出し、彼らを苦しめるようにもなってきてしまったのです。

役に立たないことをやり続けても評価されない、何をしていいか分からず引きこもっている、障害が重度で意思が表出できない多くの子供達は、ROCKETに参加できない状況でした。

突き抜けとは違う道があってもいい。平凡でも、今は志がなくてもいいのです。

「一人が好き」「協調性がない」「こだわりが強い」といった、一見ネガティブと思われる特性も、私たちは愛すべき特性だと思います。

そしてユニークで突き抜けていることは一つの素晴らしい才能であり、勉強ができる子、協調性がありオールマイティな子も素敵です。

そんな子供達も引き続き応援していきます。

結局はそれぞれがそれぞれの個性を発揮して生きられる場を創造する必要があり、これまで行っていなかった別の学びも統合した新しい学びの場として誕生したプログラム、それがLEARNでした。

佐藤以前のROCKETには劣等感や困難さといった背景から参加できなかった子供達も含め、どんな子でも参加できるプログラムが「LEARN」なのですね。

中邑教授:子供の特性はみんな違うので、学校のような場所では排除されて不登校になってしまう子が出てきてしまうのも仕方ないのです。

今の社会が発展してきた背景には、オールマイティに最新の知識を広く深く有し協働できる人材が必要とされ、いつからか学校の教育がこうした人材を作る教育へと変貌してきたことにあります。

それを全て否定する訳ではありませんが、適応できなかった子供達はストレスを抱え、学校に通えず行き場がありません。

こういう子供たちにとっての教育は、やはり学校とは別の環境で人と共にやっていく必要があるし、私は親が寄り添ってもいいと思っています。

私はそんな学びに対しての姿、色々な生き方、それらに対する社会の寛容さが必要だと思っていて、学びの場も彼らに寛容な環境だったら抵抗なく学べる子供達がいるわけです。

そして彼らが「あ、こういう場所もあるんだ」「俺、これでもいいかも。こうすれば学べるかも」という安心感や自信を与えたいのです。

また寛容さというのは、多様な人たちが生き延びるということを可能にする社会を作っていきます。

そういう人たちがいないと面白い社会にならないし、「空気読まないやつは駄目だ」という会社からイノベーションは起きないですよね。

これがLEARNの考えです。

LEARNの狙い

佐藤LEARNでの活動に参加することは、究極的に自己肯定感を高められるのではないかと感じます。LEARNの活動の狙いはどういったものなのでしょうか?

中邑教授:LEARNの狙いは2つあります。

一つ目は、全国各地で開催されるイベント活動の中で、初めて出会う仲間とお互いを批判することなく自分の好きなことを楽しみ、彼らがありのままの自分でもいいのだと安心すると同時に、学びの面白さや自由さに気づいてもらうことです。

LEARNの活動とは学校教育と違った学びの提供であり、そこに目的や教科書、時間割、協働作業は無いのです。

そもそもLEARNという言葉は、Learn(学ぶ)、 Enthusiastically(熱心に)、 Actively(積極的に)、 Realistically(現実的に)、 Naturally(自然に)の頭文字に由来します。

5つの異なったベクトルの言葉が共存するこのプログラムでは、多様な軸を有する活動が共存し、そこに様々な子どもが共通の場を介することで、彼らはいつもと違う動きを始めます。

こうすることで新しい多様な学びの方向性が見えてくるのです。

佐藤なるほど。5つの言葉の意味から、かなりワクワクする体験ができそうなプログラムだというイメージが湧いてきます。

中邑教授:二つ目は、子どもたちが自由に行き来できる、今の公教育を補完するもう一つの教室のような「場」をつくることです。

先ほどLEARNの活動を「学校教育と違った学びの提供」とお話ししましたが、それは学校教育を否定するものでも、対立するものでもなく、補完するものなのです。

つまり、私たちはLEARNで学ぶことを公教育の一つとして認めてもらうように現在動いています。

すでに地域によっては自治体と連携し、平日にLEARNに参加しても欠席扱いにならず、学校の学びとして認められているプログラムもあります。

学校と連携した無数のLEARNのプログラムが全国各地で展開されるようになると、学びに能動的にワクワクと興味を弾ませた子どもたちが、新しい未来を創造し始めるに違いありません。

LEARNの具体的な活動

佐藤公教育として今後さらに全国で展開されるようになれば、制度も変えずに大々的なカリキュラム変更もなく取り組めるプログラムとして「LEARN」は理想的なモデルですね。

LEARNの活動とはどんな内容なのか、とても気になります。

中邑教授:現在の活動としては5つあります。

  1. LEARN with NITORI 〜教科書を離れて学びの楽しさに気づくプログラム〜
    :学びの意欲・自信を失った子供向け。構う大人、認めてくれる大人がいることを理解させる。ニトリホールHD共催
  2. LEARN with Porsche 〜夢に向かう力を引き出すプログラム〜
    :受験勉強に疑問を持ち、勉強を一旦止めて違う学びをやってみようという子供向け。自分で生き延びるために考える力を養うプログラム。ポルシェジャパン共催
  3. LEARN ONE 〜成績不問のスカラーシップ〜
    :何かを求めているが一人では動き始めにくい子供向け。成績がオール「1」でも奨学金を支給。
  4. LEARN in FOREST 〜重度障害児・者のコミュニケーション支援プロジェクト〜
    :知的障害・重度重複障害児向け。
  5. 自治体連携プログラム

例えば、渋谷区と連携したプログラムで「徹夜で昆虫採集」という企画をやりました。

そこに参加してきた子が「実は虫嫌いなんです」って言いながら植物採集していても何も言わないし、友達と話していても何も言いません。

学校だったら「今日は昆虫採集の時間だから、虫をちゃんと見なさい。観察しなさい。虫を採りなさい。」と指導されるかもしれませんね。

でもここでは「全然いいんじゃないの。植物を採るのもさ。せっかく来たんだからさ」と言って彼らのスタイルを認めていく。それだけです。

そうすると、子供の感想として「これでもよかった」「面白かった。評価もないし」そんな感想が聞けました。

こういうのを見ていると、この企画で子供たちがいかに自由にのびのびと学んでくれたのか、ということを感じました。

子供達の中には朝まで寝ずに虫を見てる小学生もいました。

この子たちは徹夜で虫の観察をするなど、普段の生活では絶対にできません。

「はい、やめなさい」「もう採ったでしょう。もう採ったからいいでしょ。それより勉強しなさい。もう寝なさい」と言われて。

けれども、もう本当に気の済むまで虫を見続ける、という経験が実はとても大事なのです。

またそれを認めてくれる大人がいる、ということを知るだけでいいのです。

これがLEARNのプログラムの一例です。

佐藤夜中の虫取りもそうですが、夜中の肝試しとか、今は本当に聞かなくなりましたね。またそれをさせない事が当たり前の世の中になってしまった気がします。

中邑教授:社会の寛容さが失われている表れですよね。

また、広島県と連携したプログラムでは「家出旅」というものをやりました。

家の中で暴れてる子供達、生意気言ってる子供たちに対して、親は「そういうこと言っちゃだめよ」とか「親を敬いなさい」とか言いつけますけど、そういうことをしても意味がありません。

「あんたら甘えてる」といくら言ったところで、そんなの実際体験してみないと分からないんだから、親と引き離してみたらいいんです。

今年の夏に広島で行ったプログラムでは、全く初対面の子供たちが十数人集まり、一人でもいいし、仲間と一緒でもいいよ、ということで家出をしました。

この日は「家出の初回だから、500円と自分が必要だと思う物を三つだけ持ってきて」と事前に伝えると、各自水筒や虫籠など様々なものを持ってきました。

500円玉を持って4時間外で過ごす、というそれだけのプログラムです。

携帯電話などは全部取り上げて各自出発、それぞれが動き出します。

行き先探しで駅の案内所からなかなか先に進まないグループ、外が暑いのでショッピングセンターへ向かいその一角で相談するグループ、公園の水飲み場を見つけて水筒に水を補給する一人で行動している子など、様々です。

スーパーへお昼を買いに行った子は、手持ちの500円では消費税を入れると買えないお弁当がたくさんある事に気が付きました。

そして、12時から13時までに企画スタッフへ電話をかけることだけは求められているので、各自街の中にある電話を探します。

あるグループの子供が電話ボックスを見つけ、受話器を取ってダイヤルを押し、音がなりスタッフが出て「あ、もしもし1番グループです」と話し始めたところで「ツー。ツー。」と電話は無情にも切れてしまいました。

ここで初めて、彼は公衆電話に10円を入れただけではすぐ切れてしまうことを知るのです。

また別のグループは大人の監視に気付き、その隙を突いてある場所へ移動しました。

大人の方にはGPSがあるので見つけることは簡単です。

子供達が移動した先はゲームセンターでした。

そんな子供たちの動きも私たちにとっては全て楽しく、愛おしいものです。

そして4時間後、全ての子供達が集合場所に戻ってきてこの「家出旅」のプログラムは終わりました。

LEARNが子供達に託すもの

佐藤こうして見ると子供達は完全に自由な環境に身を置くと、各々が自ら考え動いて、初めて体験して失敗して、大人が指示をしなくてもこんなに頑張れるものなのですね。

中邑教授:なかなか子供らの行動って面白いですよね。

どの子もね、ワクワクしながらやっているんです。

一人で行動していた子もワクワクしてたと思うんですよ。「よし、一人でやったろう」という意気込みでね。

こういう体験って、今の世の中なかなかできなくなっています。どこもかしこもやってはいけないことばかり。

でも、「やっちゃいけないことなんかないんだ。外に飛び出していけ。」と私たちは言いたいのです。

それが、海外に出て生きて行く力だと思うからです。

今は国も学校も、子供達に英語を教えれば国際人になれると思っています。

けれども、例えば外国製のポテトチップスの袋がうまく手で開けられなかったら「じゃあもう要らない」としてしまう現代の日本の子供達が、国際社会で生きられるでしょうか?

今世界の投資家の人たちは、北半球はもう人口が飽和しているからアフリカや南アメリカといった南半球を見てるわけですけれど、今の大学生に「明日から、アフリカ行ってこい」ってチケットを渡したら行くでしょうか?

きっと「何のためですか?危ないじゃないですか」と言って行かない人が多いと思います。

私が学生の頃は「いいんですか?ありがとうございます」という若者がたくさんいました。

英語なんかあまり上手でない、今のお年寄りたちが、若い頃に海外に飛び出し冷蔵庫や車を売って今のこの国を築いたわけです。

そういうことを直接教えるというプログラムはもちろんありませんが、LEARNを通じて遠回しにこっそり教えています。

LEARNが目指す教育

佐藤昨今の学校教育では、かつての日本の名も無き開拓者たちがどのようにして日本経済を作り上げていったのか、それを知らないままでいいとしてきた結果、巡り巡って今の日本の子供達を生んでしまったのかもしれませんね。

中邑教授:今の社会、大人も子供もみんな考えなくなっています。

例えば教育というものを見た時、「今日はこれをやりましょう」「今回はこれを学びましょう」と提示したところで、みんな本気で学ぼうとはしないのです。

何となく子供達が「分かった。そういうことか」となるようなシナリオの中に彼らを組み込み、乗せているだけです。

だからマニュアルなどが必要なのではなく、考えさせるきっかけを与えないといけないのです。

「ちょっと考えれば、こんな面白いことできるんだね」ということを、大人も子供も知るべきですね。

教育とは本来そうあるべきなのです。

また、信頼関係の構築といった子ども間での信頼関係なども全然考えていません。

友達ができるかどうかは問題ではないからです。

仲良くなるようなプログラムは一つもやっていません。

でも自然と仲良くなることがほとんどです。

「知らない街に行って一緒に美味しいものを探してみよう」とか「一緒に働こう」とか「一緒に家出してみよう」と言われたら、障害といった本人の特性さえも関係ないのです。

一度プログラムに身を置いたら、あとは否が応でもみんな必死になってそれに対応しようと動きます。

この関係性こそが大事なのです。

佐藤確かに、先ほどの家出旅など「これからどうすればいいのか」という事に必死で、「恥ずかしくて知らない子には話しかけられない」なんて悠長なことは言っていられないですね。

中邑教授:大人がセッティングした中で誰かと仲良くなるなんてことは押し付けでしかありません。

だからプログラムの実施場所を特定の地に常設する、ということも考えていません。

プログラムの計画は大まかにしか伝えておかず、どこであるか分からない、いつあるのか分からない、そして何をやるのかさえも分からない、というところにこの教育の意味があります。

そうしなければ、必死になって色々考えませんからね。

佐藤つまり、人間誰しも生きのびるためには必然的に仲間を作ろうとする本能を持っている、ということでしょうか?

中邑教授:そのとおり。ただそうなる前提として一つ言えるのは、私たちのところに集まってくる子供達はそもそもみんな寛容である、ということですね。

なぜかというと、LEARNには厳密なルールが無いからです。

ルールを作っていると、またそれに合わせようとする子供が出てきて「◯◯ちゃんこうしなきゃダメだよ」ということを言い出したりします。

ルールを作らなければ、無駄な押し付け合いも起こらないのです。

LEARNの更なる普及に向けて現在取り組んでいること

佐藤なるほど。中邑先生の考え方やLEARNの取り組みを聞けば聞くほど、今の日本においては、LEARNの活動に参加する子供達がもっともっと増えていけば良いなと感じます。

中邑教授:そう思います。現在も、LEARNのプログラム自体を全国の自治体さんに知ってもらい協力しながら、公教育の一部として活用してもらえるように日々動いています。

具体的に言うと、各学校に対して「平日にLEARNに参加しても欠席にならない」といった形でのLEARNへの参加提案です。

自治体が一緒にこの活動に協力してくれれば、LEARNが公教育の一部として認められることが可能になるわけです。

私は第9次の教育再生実行会議のメンバーだったのですが、その時に提案したのは「学校お休み券を年間10枚、子供達に配りましょう」というものでした。

そうすると、「あ、隣の町でカブトムシの教育教室があるから僕、今日授業をやめてそっちに行く」ということが堂々とできるわけです。

この「お休み券」が子どもたちにどんな力を与えていくかということを想像したら、もう子供達がワクワクする姿が目に見える気がします。

「一人だけ組織を飛び出していいんだ」となる訳ですから。

もちろんお休み券は使わなくてもいいのです。

けれども、使える子はそうやってどんどん学んでいけるような仕組みを作ってあげたいし、そのときに参加できる学びの場所を増やして行きたいのです。それがLEARNです。

勉強ができる子もできない子も、学校行ってる子も行かない子も、障害がある子もない子も全て一緒、基本的なコンセプトはみんな一緒です。

学校以外にも、もう一つの学びの場所があるんだよ、ということを子供達に伝えたいんですね。

佐藤お休み券という響きはとても魅力的ですね。ただ、自治体の方も実行するに当たり気になるのは予算なのかなという気はしますが。

中邑教授:そのための営業活動ですね。おっしゃる通り、自治体の方から必ず「予算がない」と言われますから。

そんなときは「大丈夫です。我々独自の予算があるから、それをこちらの自治体に一つ回すので参加してみて下さい。そしてよかったら来年度予算化の検討をお願いします」と、いつもお伝えしています。

そして「出来れば教員の研修もそこでやらせて下さい」ともお伝えしています。

「あ、こういう教育もあるんだな」というマインドが教員の間で育てばいいのです。

 このマインドこそが重要なんですよ。

教員も親も、今の教育の考えからちょっと違ったマインドを持つ、それが今日本に必要なことなのではないかと思いますね。

まとめ

今回は、東京大学の中邑賢龍先生にお話を伺いました。

中邑先生が中心となって進めている「LEARNプログラム」では、現代の子供や大人に「学びとは本来どういうものだったのか」を改めて考えるきっかけを与えてくれます。

子供は皆違い、自由であり、それぞれがそれぞれのやり方で学びに興味を持ち成長します。そして、時には教科書や決まった場所、ルールさえ必要のない学びも大切なのです。

高齢人口が多く占める日本では、高齢者のための社会や高齢者に良いサービス、高齢者が困らない街づくりに注力する政府や行政の取り組みは、今後も疎かにすることはできないでしょう。

ただ同時に、国際社会に生き残っていく日本を作るためには、教育についても真剣に考えなければなりません。それを牽引するのは、中邑先生のように企業を巻き込み新たな教育環境を考え・提供し続ける活動であり、こうした活動こそが今の日本に最も必要な社会貢献の姿と言えるのではないでしょうか。

(対談/佐藤 直人、執筆・編集/佐藤 優)

この記事を書いた人

目次