東京大学 大学院工学系研究科
鳥海 不二夫 教授
情報的健康の実現には食事や健康ドックの考え方が応用できる

情報的健康の実現には食事や健康ドックの考え方が応用できる

「情報的健康」という考え方を聞いたことはあるでしょうか。

数多の情報が溢れる現代社会において、私たちが触れる情報は知らず知らずのうちに偏ったものになりがちです。フィルターバブルなどの問題点が徐々に浮かび上がってきた現在だからこそ、自分から情報収集の仕方を工夫しなければいけません。

そこで今回は東京大学の鳥海教授に、「情報的健康」を実現するには何が必要か、個人だけでなく企業の立場からも取り組めることについてインタビューしました!

取材にご協力頂いた方

東京大学 大学院工学系研究科 教授
鳥海 不二夫(とりうみ ふじお)

2004年、東京工業大学大学院理工学研究科機械制御システム工学専攻博士課程修了(博士(工学))、同年名古屋大学情報科学研究科助手、2007年同助教、2012年東京大学大学院工学系研究科准教授、2021年同教授。
計算社会科学、人工知能技術の社会応用などの研究に従事。
計算社会科学会副会長、情報法制研究所理事、人工知能学会編集委員会編集長、電子情報通信学会、情報処理学会、日本社会情報学会、AAAI各会員。「科学技術への顕著な貢献2018(ナイスステップな研究者)」。

主な著書に「強いAI・弱いAI 研究者に聞く人工知能の実像」「計算社会科学入門」「デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現をめざして」などがある。

目次

現代社会は「情報的健康」が脅かされる環境になってしまっている

エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):それでは、まず初めに「情報的健康」とは何か教えていただけますか?

鳥海教授:「情報的健康」というのは私たちが作った造語なんですが、今の情報空間というのは想像と異なる性質になっていることが多々あります。正しい情報を得るための工夫を自分自身で行わないと、どうしても間違った情報を手にしてしまう、という問題が発生しやすいんです。現代社会は情報爆発の時代といわれますが、私たちは1日24時間のうち、1~2時間程度で情報収集を行っています。ですが、世の中に存在する情報はとてもではないですが24時間で見きれるものではありません。私たちの得ている情報は、全体のごく一部に過ぎないわけです。

では、どうやって情報を得ているかといえば、ひとつはニュースであったり、ウェブサイトで推薦してくれるものを見るというのが一般的です。つまり、「あなた向けの情報はこれです」とおすすめされているものを見ることになりますが、そうするとフィルターバブルと呼ばれる問題が起こります。

EL:フィルターバブルとは、具体的にはどういった状況を指すのでしょうか?

鳥海教授:おすすめされる情報というのは、私たちが見たいと思っているであろう情報を分析して提示されています。例えば日本に住んでいる人にニカラグアのニュースを提案しても興味は湧かないでしょうし、どこだそれは、となりますよね。なので、興味がありそうな内容をきちんと提示してくれることは重要なんですが、そういう情報だけに集約されると本当に見なければならない情報を目にしなくなってしまうんです。

ここでポイントになるのが、アテンションエコノミー(関心経済)です。メディアは広告収入によって収益を得ていますが、収入を増やすにはより多くの人に見てもらわなければいけません。つまり、記事のアクセス数が収入に直結するわけです。そうすると、経済的なインセンティブのために記事を読んでもらうことこそが最重要事項になり、ジャーナリズムの矜持のようなものが入る余地がなくなってしまいます。言ってしまえば、興味関心を集めること自体が情報発信の目的にすり替わっているんです。

EL:確かに、最近のネットニュースなどを見ているとそういった傾向の記事が増えているように感じます。

アテンションエコノミーによって生活の中で触れる情報が限定されている

鳥海教授:さらに、アテンションエコノミーとフィルターバブルが合わさると事態はもっと深刻です。ユーザーがクリックしてくれる、記事を見てくれることが最重要になっていても、その人にとって重要な情報に触れられる環境ならば情報的健康はある程度守られます。ですが、その人にとって重要な情報と、見たくなる情報というのはほとんどの場合イコールではありません。人間はどうしても面白い情報ばかり見てしまうので、限られた情報にだけ接するようになってしまうんです。

フィルターバブルでは、フィルタリングされた空間、すなわちバブルの内部同士は隔てられています。隣のバブルに属している人が見ている情報は目に入りませんし、そのバブルにいる人が何を言っているかもわかりません。極端な話、スポーツに関心がある人に政治系のニュース記事を提示してみたところで、クリックして内容を見ようとも思わないわけです。仮に選挙があっても、フィルターバブルの中にいれば情報が入ってこない。どこの政党がどんな政策を掲げているか知った上で投票するのが本来の民主主義ですが、そういった重要な情報を知る機会が失われていくんですね。

EL:今お話ししていただいたような状況は、TwitterなどのSNSでも同様なのでしょうか?

鳥海教授:そうですね。ソーシャルメディア上に流れてくる情報というのは、フォローした人が発信源です。リツイートされる情報などはフォローしている人の好みであって、自分の判断ではないから情報は偏らないと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。フォローするかどうかは、結局のところ相手に対して好意的な気持ちがあるか、趣味が合う人かどうかといった部分が影響します。気に入らない人をわざわざフォローしませんからね。それが悪いということではなく、自然と自分の意見を聞いてくれる人、自分と同じような価値観を持っている、似たような人とつながっていることは知っておかなければいけません。何か意見を交わす時でも、自分にとってネガティブな考えを持っている人はフォローしていないので、同じ意見ばかりになる。周りからも同じ意見、賛同が返ってくれば、異なる価値観に気づけなくなる恐れがあるんです。

EL:そういった状況に置かれていると、SNSの炎上などにも意図せず加わってしまうリスクも増しそうです。

鳥海教授:そうならないためにも、今の情報空間がどのようなものなのかを知っておくことは大切です。例えば、炎上にはいくつかの種類があって、グローバルな炎上とローカルな炎上とで異なる性質を持ちます。芸能人がInstagramで炎上しているようなケースというのは、Instagramに投稿した記事に対してのコメントがもととなっていることが多いんです。その芸能人のInstagramを見に行かなければ何のことだかわからないような、非常にローカルな炎上なので、極一部のアンチが中心になっていることも少なくありません。一方で、Twitterなどはいろいろな意見が飛び交ってはいますが、ある程度時間が経つと一般的な意見として広まっていきます。こういったケースは、特定のコミュニティ内に限らないグローバルな炎上といえます。

しかし、フィルターバブルの中にいると、ローカルな炎上でも全員が同じ意見を持って攻撃しているように見えてしまうこともあるんです。今、自分の目の前で起きている事象であっても俯瞰して見ることを心がけなければいけません。

食生活で栄養のバランスを取るように情報収集もバランスを取る意識を持つ

EL:私たちが触れる情報が知らず知らずのうちに限定されていることは、様々な面で非常にリスクの高い状況かと思いますが、今後改善に向かっていく兆しはあるのでしょうか?

鳥海教授:正直、あまり期待はできないと思います。今は私たちが見たい情報ばかりが流れてくるので、いちいち情報を探しに行く手間が省けて非常に楽になっていますよね。しかも、一人ひとりに向けて情報が最適化されていれば、企業は企業でクリック数、つまりネット記事などへのアクセス数が増えますから、現状ではユーザーと企業の関係はWinWinになっているわけです。

とはいえ、このままの状況が続けば世界を正しく見ることができなくなるので、フェイクニュースや陰謀論に騙されないように多角的な視点を持つことが求められます。これは、考え方としては食生活と似ています。

EL:食生活と似ているとは、少し意外です。例えば、どのような取り組み方になるのでしょうか?

鳥海教授:私たちは小さい頃から教育を受けてきているので、できるだけ健康的な食事をするように意識しますよね。毎日油たっぷり、カロリーたっぷりの食事をしていれば美味しい食事は取れますが、健康面を考えたら自分の好みにだけ合わせたメニューは控えなければいけない。だから、毎日カロリーたっぷりなジャンクフードばかり食べていないで、野菜もちゃんと食べようと考えるわけです。これは短期的な欲望に対して、長期的な健康という目標を設定することで自分自身を制御しているんです。

情報に置き換えるなら、「フェイクニュースに騙されたいですか」と聞かれてイエスと答える人はいないでしょう。ではどうすれば良いかといえば、対策は知識を身につけることです。

EL:知識を身につけるとなると、情報リテラシーのような内容を学べば良いのでしょうか?

鳥海教授:情報リテラシーに関しては、間違ってはいませんが高めることは非常に難しいですね。「こういうことをしましょう」とうたっているものを見ると、実際にそれができますか、となった時に厳しい内容が多い。例えば一般的なメディアリテラシーでは、それを誰が書いたのか、注目を集めるためにどんな表現が使われているのか、ほかの人はどんなふうに理解しているのか、あるいは、その記事にはどんな価値観が含まれていて、どんな価値観が含まれていないのか、なぜその記事が提示されたのか考えましょう・・・そういうことが書かれています。

ですが正直、今挙げたようなことをいちいち確認していられませんよね。書き手が誰かくらいは調べた方が良いかもしれませんが、どんな価値観が含まれているか、なんて調べようとしても簡単にはできませんし、非常に手間がかかります。もちろん、情報リテラシーとしてうたわれている内容は、そうした方が良い、とわかっている人は非常に多いんですよ。しかし、実際に取り組んでいる人はごく一部なんです。

EL:確かに、どんなに推奨されてもそこまで徹底して取り組むことは現実的ではありませんね。

情報の偏食化を防ぐにはメディア側から支援を行うことも重要になる

鳥海教授:なので、私は情報の偏食化を防ぐための教育、という面からのアプローチをおすすめしています。これは食事でいえば、人間の身体に必要な栄養素を知ることと同じです。ビタミン不足なら野菜を食べるなどして、バランスよく栄養を摂らなければ健康を害してしまう。バランスを取るには自分自身で意識して調整しなければいけませんが、食事に関してはそのための支援がありますよね。

例えば、コンビニでお弁当を買おうと思えばカロリーが表示されていて、塩分量なんかもわかる。だからカロリーに気をつけたければカロリーの少ない食べ物を選べばいいし、高血圧の人なら塩分量を見て判断ができるわけです。ただし、これは「カロリーを摂取しては駄目」という話ではありません。カロリーは今でこそ敵のように扱われていますが、戦後すぐの頃なんかは、むしろ高カロリーの食べ物の方が重宝されていたわけです。

こういったことは時代とともに変化するので、一人ひとりが選択できるように支援をする、つまり食べ物なら栄養を、情報なら内容を示していくことが望ましいと思います。そういう意味では、情報に関しても内容が簡単に把握できるような支援は今後、必要になっていくのではないでしょうか。

EL:なるほど。情報に関する支援というと、具体的にはどういった例が考えられるのでしょうか?

鳥海教授:例えば、新聞社の特徴、リベラル系か保守系か、一般紙かスポーツ誌か、経済紙かタブロイド紙かといったものは、知っている人にとっては常識のようなものとして扱われています。

しかし、新聞そのものにリベラル系、保守系といった記載はどこを見てもありません。本当は新聞でもネットメディアでも、「こういうメディアです」と宣言した上で運営することが望ましいんです。そうしないと、極端な話、あえて虚構の内容を娯楽として発信しているメディアを見た人がそれを信じて、「宇宙人があちこちの星から地球へやって来ている」と思ってしまう可能性もないとは言えません。虚構であると書かないことで夢と希望を売っている、と捉えることもできますが、今後はいずれのメディアも、自分たちが提供している記事がどういう性質のものなのかを明らかにしていくという意識が必要になっていくのではないかと思います。

EL:情報が氾濫している現代社会だからこそ、ユーザーのことを考えて情報発信を行うことが求められるのですね。

鳥海教授:企業として考えるなら、人間ドックを受けるように情報ドックを提供するというのもサービスのひとつに成り得るでしょう。例えば、今のあなたの情報取得の仕方はこうなっていて、蓄えている知識に偏りがあれば指摘する。あるいは、個人ではなく企業を対象に評価をつけていくというやり方もあります。実際、アメリカにはすでにそういう企業があって、ニュースサイトを評価するサービスを行っています。一般的な評価指標を用意して、間違った情報の記事がどれくらいあるか、パブリッシャーの資金の透明性はどうか、などで信用度を見える化しているんです。

私も今回お話ししたような情報社会の実現に向けて動いているところなので、企業の方々もぜひ一度、情報的健康の実現に向けて取り組めることがないか、検討してみてください。


情報を集める際には、食事の時のようにできるだけバランスを取ることが大切、という考え方は漠然と情報リテラシーを考えるよりも取り組みやすいのではないでしょうか。

その上で、メディア側にも情報発信者としての意識を持つことが求められます。

SNSの普及によって誰もが情報発信をする立場に成り得るからこそ、個人としてもメディアとしても、情報の偏食化が起こらないよう工夫していく必要があるでしょう。

(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)

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