慶應義塾大学 商学部
山本 勲 教授
少子高齢化・ポストコロナでの労働市場と経営戦略を考える

少子高齢化、コロナショックによるテレワークの増加など、日本の労働市場は大きな変化を迎えています。

今後、働き方がどのように変化していくのかは、雇用される側だけでなく企業や経営者としても非常に気になるところでしょう。

そこで今回は、慶應義塾大学の山本教授に、今後の労働市場と企業が取るべき経営戦略についてインタビューしました!

取材にご協力頂いた方

慶應義塾大学 商学部 教授
山本 勲(やまもと いさむ)

慶應義塾大学パネルデータ設計・解析センター長。専門は応用ミクロ経済学、労働経済学。1995年、慶應義塾大学大学院商学研究科修了、2003年、ブラウン大学より経済学博士号(Ph.D.)取得。1995年、日本銀行入行、2005年、日本銀行企画役、2007年、慶應義塾大学商学部准教授、2014年より現職。主な著書として、『人工知能と経済』(編著)勁草書房、2019年、『実証分析のための計量経済学』中央経済社、2015年、『労働時間の経済分析』(共著)日本経済新聞出版社、2014年(第57回日経・経済図書文化賞受賞)。

労働市場に対する政府の取り組みと今後の動き

エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):まず最初に、少子高齢化やコロナ禍の影響で大きく変化してきている労働市場に対して、政府がどのような対応をしているのか教えていただけますか?

山本教授:前提として、少子高齢化が進行する中では、これまでよりも少ない人手で多くの付加価値を生み出す必要があります。そのため、今後は量的にも質的にも労働力を高めていくことが重要になるでしょう。

量的には、女性活躍推進やシニア活用が欠かせないため、ダイバーシティ経営、健康経営、働き方改革などが求められます。質的には生産性向上のため、効率的な働き方への転換、新しいテクノロジーを活用したDXの推進などが必要です。

これらは「働き方改革(長時間労働是正、非正規雇用の待遇改善)」、女性活躍推進、高齢者雇用のための法改正、人への投資の促進など、さまざまな取り組みや働きかけが政府によって行われてきました。現在の流れは今後も続けるべきだと思います。

ただ一方で、非金銭的な側面については政策対応についてのノウハウが少なく、政府としてどのように対処すべきかは今後の課題となる部分ですね。

非金銭的な側面に対する価値観の変化

EL:非金銭的な側面とは、具体的にはどういったものが挙げられるのでしょうか?

山本教授:最近よく使われるようになった、「ウェルビーイング」に当たるものですね。

例えば健康で長生きすること、世の中が平和であること。ビジネス面でいえばワークライフバランスや、やりがいを持って働けているかどうか、という面でのエンゲージメント(仕事に対してポジティブで充実していること)などもそうです。メンタルヘルス(心の健康)の状態の良さも、非金銭的な側面といえるでしょう。

EL:なるほど。ワークライフバランスやメンタルヘルスを非金銭的な側面と考えると、具体的なイメージがしやすいです。

山本教授:ただ、ウェルビーイングは正直かなり定義が広く、人によって、また使う場面によっても何を指しているかが大きく異なります。

日本語で単語として置き換えようとすると「厚生」や「幸福」となるものの、限定的な捉え方になってしまうため、的確に表現しているとはいえません。よくいわれる定義としてはWHOによる「精神的・肉体的・社会的に健康な状態」というものが使われていると思います。

もっと広く所得が上がる、資産が増える、あるいは社会とのつながりや生活環境が良くなる、といった側面で捉えることもあります。OECD(経済協力開発機構)はウェルビーイングについて11分野にわたる指標を使って測定しようと試みているくらいですから、本当に範囲が広いんです。

人々が重視していて、かつ、それが良くなることで幸福度が上がるもの、と考えるとわかりやすいかもしれません。その意味では、ビジネスでは「KPI(重要業績評価指標)」に近いともいえます。かつて人々は所得や金銭的なもの、一言でいえば成長を目指していましたが、近年は価値観も多様化し、非金銭的な側面を重視する人が多くなってきたというトレンドがあると思います。

EL:すると、今後の労働市場においては給与など金銭的な面だけでなく、ウェルビーイングも踏まえて充実した労働ができているかどうかが焦点になってくるのですね。

山本教授:はい。量的・質的のいずれの面においても、働く人のウェルビーイングを高めることは欠かせません。

また、単に生産性を高める(あるいは成長を目指す)だけでなく、働く人のウェルビーイングも高める(あるいは分配も目指す)という両立を図ることも重要です。その点も近年の政策の根底にはあると思いますが、非金銭的なものは把握が難しいだけでなく、所得再分配のような手段で企業間や働く人の間の格差を是正することができません。

そのため、政策対応が難しいウェルビーイングの部分に関しては、企業が率先して動いていく必要性も増すでしょう。

変化する労働市場に対して企業が立てるべき採用戦略

EL:では、やはり企業としても採用戦略を立てる上ではウェルビーイングを意識することが大切になるのでしょうか?

山本教授:そうですね。これまでの働き方は、企業にとっても最適なものではなくなってきています。だからこそ働き方そのものを見直し、時代に合ったものに転換しなければいけません。

コロナ禍による変化は急激なものだったので、量的・質的な変化を大きく進めることができた企業と、そうでない企業の間の差が浮き彫りになりました。特に顕著だったのは、在宅勤務を始めとする柔軟な働き方やDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進などです。

これらの変化ができていない企業は、今後、経営が難しくなっていくかもしれません。優秀な人材が柔軟な働き方、テクノロジーの活用を積極的に行う企業に流れていけば、昔ながらの働き方を続けている企業は、この先人手不足になっていく中でなかなか良い人材を採用できなくなる可能性が懸念されるためです。その意味では、いわゆる「レジリエンス格差」において下層にいる企業での変革が求められているといえます。

EL:レジリエンス格差という言葉は初めて聞きました。どのような意味なのでしょうか?

山本教授:レジリエンス格差はウェルビーイングにも関連性があるのですが、DXの推進とも深い関係があります。

DXは単なるシステムの導入に留まらず、導入によって仕事の効率化を図ったり、新たなビジネスを作り出すといった、何を変えていくかに着目したテクノロジーの活用を指します。こうしたテクノロジーの活用は、感染症に留まらず自然災害や様々な事故・事態が生じた場合の就業や事業の継続、すなわちレジリエンス(復元力)にも関係するんです。

さらに、テクノロジーの活用によって仕事の柔軟性が増せばそれだけウェルビーイングも高まります。つまりコロナ禍によって、企業間でのレジリエンス格差、ウェルビーイング格差の両方が拡大している状況なのです。

EL:そうなると、格差を是正し優秀な人材を確保するためにも、柔軟な働き方の実現やテクノロジーの活用が必要になりますね。

山本教授:その通りです。これらの格差は、言ってしまえば柔軟な働き方ができる人とそうでない人が二極化してしまうことです。

コロナ禍に伴って柔軟な働き方ができるようになった人がいること自体は、とても良いことだと思っています。それによって企業間や働く人の間で格差が開いたことも、今すぐ大きな問題になるものではありません。しかし先ほどお話ししたように、将来的には採用が困難になる可能性が考えられるため、企業は働き方の変化への適応だけでなく、いかにして格差を埋めるかを考えることが大切です。

何より近年の実証研究では、「働き方改革」や女性活躍推進、健康経営、テクノロジー活用などを進めている企業ほどパフォーマンスが向上するという結果も出ています。働く人のウェルビーイングを高めることは、かつては福利厚生、あるいは社会的責任と捉えられていた面がありました。ですが、企業にとってもウェルビーイングを意識した経営はプラスになるので、積極的に取り組むべきでしょう。

EL:なるほど。働き方の柔軟性が増せば、雇用される側も自分自身のスキルを活かした仕事に就ける可能性が高くなり、WinWinの結果となりそうです。

山本教授:そうですね。ただ、ここで覚えておきたいのは、コロナ禍によって仕事の柔軟性が高まったのは全員ではないということです。

オフィスワーカーとマニュアルワーカーのように、どういう仕事に就いているかはもちろん密接に関係します。しかし業務内容、私の専門分野ではタスクといいますが、タスクを分類してみるとルーティンかそうでないかでも大きな違いがあるんです。

ルーティンに依存する定型的な仕事をしている人の場合、あまり仕事が柔軟ではなく、テレワークも利用できていないことが多いです。一方で、企画など人とコミュニケーションを取ったり、知的労働をしている人はいつでもどこでも仕事ができる。例えば感染が拡大した時や自然災害が起きた時、あるいは家族に何か事情があって出勤しにくい時などでも、時間や場所に柔軟性があれば家で仕事ができれば対処しやすい。総じて柔軟性が高いんですね。

今後AIの導入が進んだ時に備えたスキルの習得も大切

EL:確かに、あらためて考えると同じ職種でも人によって働き方が異なることは珍しくありません。

山本教授:こうした定型的な仕事かどうかは、将来的にAIの導入が進んだ時にも重要な視点になります。

AIの導入にあたっては、定型的か非定型的かを見極めることが大切です。なぜかというと、一見非定型的でも、よく分析していくと定型的なものも多いためです。例えば、人事の採用活動では新卒のエントリーシートを大量に見て審査をしますよね。エントリーシートのチェックとなるとかなり頭を使いますが、実はこの作業は定型的な仕事なんです。この人はうちの企業に合うのか、ということを一定のルールに従って判断していくわけですから。

定型的な作業であればAIの得意分野ですから、決められたフォーマットに書いてある文字や用語を解析して、過去の合格者に近いかどうかを判断できる。こういった繰り返しが多く、かつ大量のデータを学習できる案件であれば、AIに適した仕事といえるでしょう。

EL:定型的な仕事というと、スーパーやコンビニのレジ打ちなども当てはまるのでしょうか?

山本教授:そうですね。ただ、レジ打ちの他に接客などのサービスも必要となれば、現状AIだけで完結は難しいと思います。

今後、テクノロジーの発達によってサービス提供の部分をロボットができるようになる可能性はあるかもしれません。あるいはロボットを使わなくても、サービスの形態自体を変えて対応できる可能性はあります。例えば美味しいコーヒーは昔は専門のバリスタが提供するのが当たり前でしたが、コーヒーを作るマシンそのものを高性能にすることで、専門家がいなくても良くなったわけです。

働く人の視点で考えると、業務内容が単純なタスクならAIでもできる可能性が高い。それでも、人間にしかできないタスクというのは、まだまだ残されています。

しかし、そのタスクを完遂するためには、やはり相応のスキルが必要です。将来的に単純なタスクをAIやロボットに任せるとしても、接客スキルを磨いたり、イレギュラーな対応へのスキル、創意工夫が必要な技術を身につけることで、タスクの高度化ができるでしょう。

大企業に勤めているなら企業の研修に参加するのもひとつの手段です。とはいえ、誰もが大企業で働いているわけではないので、できるだけ自分でスキルを身につけることが大切です。その場合は、他のスキルを磨く時間も積極的に設けていくことをおすすめします。

新しいスキルを身につけるためのIT関連産業発展の可能性

EL:AIが単純タスクに取って代わっていく可能性が高く、それに伴って個人がスキルを磨く必要があるとなれば、IT関連のスキルを身につけていくための教育産業は今後発展する見込みがあるのでしょうか?

山本教授:その通りだと思います。それこそ、私たちが当たり前に使っているZoomにしても、使い方がわからないと困っている方はいるわけです。なので、IT関連の仕事に就いている方が習うまでもなく使えているツールでも、何らかの研修であるとか、スクールに対する需要は高くなるんじゃないでしょうか。

一方で、機械学習や深層学習を使ったAIのプログラミングとなると、また異なるスキルになってくるかもしれません。以前、AIスキルの研修サービスを提供している企業にインタビューしたことがあるんですが、最近のプログラムの仕組みを解説するような講習に、意外とシステムエンジニアが受けに来たりするそうです。

EL:それは意外ですね。てっきりAIを開発する分野に注目が集まっているのかと思っていました。

山本教授:ビジネスの場においては、AIのプログラミング自体ができる人よりも、AIの仕組みについての知識がある人の方が重宝されるんですよ。

AIを作りたいならプログラミングができる外部の人にお願いすればできてしまう。ですが、問題はビジネスの中でどこにAIを取り入れていくか、という感覚ですよね。なので、ツールを使いこなすための教育、ツールを使うことでこの業務が効率化できるという知識、それらを提供することの方が需要は高まります。

そう考えると、新しいテクノロジーを身につけるための機会を提供するサービスは、今後大きな産業になってくるだろうと思います。

EL:貴重なお話、ありがとうございます。最後に読者の方に向けてメッセージをお願いします。

山本教授:少子高齢化やコロナショックの影響で、労働市場や人々の働き方には大きな変化が生じました。それと同時に、企業にも変化・転換が求められています。

こうした転換は政府による法的な取り組み(「働き方改革」関連法など)を待っていては遅いので、自主的な動きが重要です。パフォーマンスを向上させている企業は政府が動く前から転換を始めているので、早めに最適な働き方・経営戦略を見出すことが企業の生き残りにおける鍵になるでしょう。


ウェルビーイングを高めるという意識は、特にコロナ禍以降、多くの人に浸透してきたように思います。

こうした労働環境の変化は、将来的にもAIの発展などに伴って都度起こっていくと考えられます。

未来に備えるためにも、個人としては自分自身のスキルを磨きつつ、企業経営の立場からは柔軟な働き方の変化に対応できる姿勢を持っておきたいですね。

(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)