関東学院大学 人間共生学部
折田 明子 教授
ネット社会で注意したいプライバシーの扱いや情報発信について

ネット社会で注意したいプライバシーの扱いや情報発信について

SNSの発達もあり、ネット社会が急激な広がりを見せている中、情報発信のリスクも日に日に高くなっています。

何気なく発した一言がプライバシー侵害になってしまったり、炎上騒動に発展するのではという恐れを抱いている方も少なくないのではないでしょうか?

そこで今回は、プライバシーの扱いや情報発信の注意点について、関東学院大学の折田教授にインタビューしました!

取材にご協力頂いた方

関東学院大学 人間共生学部 教授 折田明子(おりたあきこ)

1998年 慶應義塾大学総合政策学部卒。2000年 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。2007年 同大学同研究科にて博士(政策・メディア)取得。中央大学ビジネススクール助教、慶應義塾大学特任講師、米国ケネソー州立大学Visiting Assistant Professor等を経て現職。若年層の情報リテラシー教育、死後のデジタルデータの扱いといった生涯にわたるデータとプライバシーに関心を持つ。

エモーショナルリンク合同会社取材担当(以下EL):それでは最初に、インターネットにおける「プライバシー」とは何か、教えていただけますか?

折田教授:「混ぜるな危険」と言うとわかりやすいでしょうか。

プライバシーは、「個人や家庭内の私事・私生活。個人の秘密。また、それが他人から干渉・侵害を受けない権利。」(引用:デジタル大辞泉)とされています。未だにカタカナの言葉ですし、しっくりくるような日本語は見つからないですね。

例えば、SNSでメインアカウントと、いわゆる裏アカウントを使い分けている場合を想像してみてください。メインは実名、裏はニックネームで使い分けているのに、誰かが裏アカウントと実名を結びつけて「混ぜたら」、どうですか?

EL:それはとても嫌ですね。絶対にして欲しくないです。

折田教授:そうですよね。このように、相手や文脈によって使い分けている自分の姿を、勝手に混ぜられてしまうことは、プライバシー侵害にあたります。プライバシーを守ることは個人情報の保護と一部重なるところもありますが、さらに広い範囲を考慮しなければなりません。

目次

「プライバシー」と「個人情報」の違い

EL:プライバシーは個人情報の保護と一部重なるという点については、両者の違いはどのように理解すれば良いのでしょうか?

折田教授:個人情報については、文字通りそのまま個人情報保護法の内容で捉えていただけると良いと思います。プライバシーの方は、経済産業省のWebサイト、「プライバシーガバナンス」のページにある図がわかりやすいですね。

参照:プライバシーガバナンス (METI/経済産業省)

これによれば、個人情報保護法で守られている部分は従来、法務部が扱ってきた範囲とも言えます。一方でプライバシーとなると、「個人を特定しない情報」かもしれないけれども「個人に関する情報」、いわゆるパーソナルデータの扱いもですし、最初に言った「混ぜるな危険」、つまり異なる文脈の情報を組み合わせてしまう場合などもそうです。

EL:文脈を変える、というのは具体的にはどういった状況なのでしょうか?

折田教授:1つ例を挙げましょう。AさんがSNSで仕事用のアカウントと趣味用のアカウントを使っているとします。どちらの情報も、別に見せてはいけない話ではないし、鍵をかけずに公開している。でも、これらが同一人物だとして「混ぜる」と「今ここでは言われたくない」話になってしまいます。

仮に、趣味のアカウントを周りの人が「これはAさんだ」とわかっているとしても、そこで「そういえば仕事の話なんだけど」なんて言われたくないですよね。Twitterで、趣味についてツイートしたところに仕事の件でリプライされたりすれば、表と裏を混ぜられたようで「嫌だな」と感じる。その「嫌だな」と感じるところが、プライバシーが侵害された、という話になります。

プライバシーの扱いで注意すべきことは?

EL:非常にわかりやすいです。実名を出すといった直接的なことでなくても、プライバシーの侵害にあたるのですね。続いて、プライバシーの扱いで注意すべき点についても教えていただけますか?

折田教授:まず、自分のプライバシーについては「匿名だから大丈夫」という過信をしないことです。

ニックネームであっても、たとえばTwitterに毎日投稿していれば「毎週水曜は残業している人」「頭痛持ちの人」といったことがわかってきますよね。一つの投稿がすぐ危険というわけではないのですが、自分が望まない文脈で情報が伝えられたり、様々な情報と組み合わせることで、本名や所属先が特定されてしまうリスクは存在します。たとえ個人が特定されなくても、社会的な立場が推測されたり、自宅の近所を歩いていてネット上のニックネームで声をかけられるような事態も起こりうるわけです。

ネットに一度書いたものは消えませんし、自分の想定を超えて共有・拡散されます。プライバシーを守ることを考えるのであれば、そのことを常に念頭に置いて、何かを書いたり読んだりすべきでしょう。

EL:確かに、情報が混ざってしまう原因を見ていけば、自分自身の発信の仕方も関係してきます。どの情報を発信するかは十分に気をつけなければいけませんね。

折田教授:もうひとつ、プライバシーに関しては自分を守ることだけでなく、他者のプライバシーを侵害しないことにも注意を払わなければいけません。

他者が写った写真だけでなく、会話や言及、そして誰とつながっているかといったものも、その相手のプライバシー侵害につながるかもしれないという意識が大切です。無意識にやりがちですが、例えば鍵アカウントの友達が「コロナ陽性、熱が高くてつらい」と書いていたとして、公開アカウントから「うわー陽性かー、お大事に」と書いたならば、その鍵アカウントの人がコロナであることが鍵の外から見えてしまうのです。

このように、意図せずプライバシー侵害が起こり得ることは注意すべきでしょう。

プライバシーを守りつつ人間関係を構築するには?

EL:なるほど。昨今はネット上で新しい人間関係が作られることも多くなっていますが、そういった時にプライバシーについて気をつけるべきことはありますか?

折田教授:人間関係の構築にあたっては、お互いを見ることができないという「視覚的匿名性」が影響してきます。

互いに姿が見えない状態だと、人はむしろ自己開示(自分についてオープンに語る)が進みやすいことがわかっています。匿名であること、また仮に実名だとしても顔が見えないことによって、コミュニケーションが極端になりがちな面もあるんです。

例えばZOOMで話していれば相手の顔が見えますが、メールになったらどんな人なのかがわかりません。電話もそうで、コールセンターに電話して「担当◯◯でした」と言われてもお互いのことはわからない。こういった顔がわからない、相手の様子がわからない、という状況だと、人はすごくオープンに語れるようです。

EL:とても意外なお話ですが、非常に納得できます。だから悩み相談などは顔が見えない電話が多くて、実名を出さなくて良い匿名になっているのですね。

折田教授:はい。ただ、それはコミュニケーションが極端になることと表裏一体でもあります。

何でもしゃべれるということは「私こんなことで悩んでいて、もう死にたいんです・・・」みたいなことも言えるし、一方で「死ね」といった、とても相手の目の前で言えないような極端なことも言えてしまう。オープンに話せば話すほど人となりはわかってきますし、「もしかしたらこのあたりに住んでいる人なのかな」とか、表アカウントと裏アカウントの共通点から「この人じゃないか?」といった部分も見える可能性があります。対面だと言えないようなことも気軽に話せてしまうことで、両極端になりやすいという点には注意すべきです。

EL:オープンになりやすいからこそ、開示する情報を意識して厳選する必要がある、と。

折田教授:その通りです。しかし、オープンに話せるのはリスクばかりではありません。

SNSを介して、お互いの本名も勤務先も知らないけれど、親しくなることはありませんか?例えば、同じような悩みを持っている人とSNSでやりとりを重ねるうちに、顔も実名もわからないまま意気投合したり。実際に会ってみようとなった時も、実名は明かさないままハンドルネームで呼び合うとか。プライバシーを守るという面からすれば表裏一体でもありますが、日々のコミュニケーションの積み重ねから、友情や信頼を感じるのは自然なことで しょう。

また、自分の実名や社会的に使っている名前とリンクしない名前であれば、所属先への影響・社会的立場から自分を守れるというメリットもあります。特に、相談したり告発したりといった場面では匿名であることで本人が守られるので、ケースバイケースで使い分けていくことが大切でしょう。

炎上のリスクとフィルターバブルの活用

EL:匿名であることにはメリットもデメリットも存在するのですね。しかし、オープンに話してしまいがちとなると、発信が怖くなる面もあります。

折田教授:そうですね。近頃では炎上のリスクも大きくなっているせいか、特に若い世代ではネット上で発信をしなくなっている様子も見られます。

数年前までは学生たちも実名やニックネームを使って、TwitterやInstagramで発言をしていたのですが、ここ数年はそうでもないと。聞いてみると、いわゆる「読む専」(他のアカウントをフォローして読むだけ)だったり、アカウントに鍵をかけて友達とだけやり取りをしている、と。とても狭い世界でだけネットを使っている印象です。広く世界、世間に向けて自分から何かを発信し、それがどこかへ響いていくという経験をすごく恐れているように見えます。

ですが、思いがけないつながりから生まれることは、たくさんあると思うのです。新しい仕事が入ってくるとか、何かを教えてもらうとか。あるいは誰かの役に立つとか。そういう経験ができないのはとてももったいないと思いますが、ネットでの相互監視や、炎上を恐れるあまり自粛してしまって、言論の自由が無くなっているといえるかもしれません。

EL:こうしてお話を聞くと、ネット上での情報発信がとても難しくなっているのだなと痛感します。保守的になるのも仕方がない部分はありますが、炎上への対策というものはあるのでしょうか?

折田教授:そうですね。いわゆる「フィルターバブル」を意識することが大切になると思います。

EL:フィルターバブルというのは初めて聞きました。具体的にはどういったものなのでしょうか?

折田教授:SNSなどのアルゴリズムによって自分好みの情報だけが表示されることで、偏った情報にばかり触れてしまう状態です。見たい情報しか入ってこない環境が、まるで泡に包まれたようだとして、フィルターバブルと呼ばれています。イーライ・パリサー氏が2011年に提唱したものです。

フィルターバブルは、炎上の話にもつながります。例えば、Twitterでは自分のタイムラインは心地良い情報が多く表示されていますよね。自分の好みでフォローをしますし、Twitterがユーザーの行動履歴などから表示する情報を選んで表示するためです。Twitterであれば「いいね」や「RT(リツイート)」が多い投稿がおすすめとしてよく表示されてしまうので、どうしても情報が偏ってしまうわけです。しかし、ユーザーは自分自身で情報を探して取捨選択をしているつもりでいるので、表示される情報を見て、世の中の人も皆そうだと思い込んでしまう。すると、たまに異質な意見入ってきた時に強い違和感を覚えます。それが炎上につながることもあるでしょう。

また、前に申し上げた視覚的匿名性もあるからでしょうか、とてもきつい表現になったりします。たとえば、どこかのお店で期待通りのサービスがなかったら「もう二度と行きません」「もう二度と買いません」とか、極端な言い方になってしまう。私は、読んでいて、そこまで言わなくてよいのでは…と感じることがあります。「そんなことないよね」とも言いづらいですよね。「ああは言ってるけど、正直言い過ぎだよね」とか「あそこのお店そんなにまずくないよね」といったやりとりができればよいのですが、強い言葉が書かれているとむしろ見なくなりますよね。こうやって、相容れない価値観の人とは遮断され、コミュニケーションがクラスター(同種の人の集合体)化してしまうことがあるんです。

EL:確かに、炎上の原因というところを考えていくと、偏った情報から形成された価値観があるというのは大きそうです。

折田教授:一方で、逆にフィルターバブルの性質を利用する手もあるでしょう。どういう情報源から情報を得るかを決めてタイムラインを作ることで、いわゆるトンデモな情報を入りづらくできるんです。

例えば、医療に関して陰謀論やエセ科学に関連する話もSNSでは蔓延してますよね。ショッキングだったりキャッチーだったりするので、目に付きやすいのですが、公的機関などの信頼できる情報源のバブルをあらかじめ作っておけば、明らかにおかしい情報が紛れ込みづらくなるのです。

特に、現代のコロナ禍において、正直なところ情報に追いつくことが難しい人の方が多いでしょう。今は当たり前にしているマスクも、流行当初はしなくていい、と言われたこともあったように、新たな科学的知見によってアップデートされていくわけです。だからこそ、普段なら信じないようなとんでもない話が入ってくる隙のようなものが生まれます。

そういったとき、信頼できる情報源によって作ったタイムラインがあれば役立ちます。何か違うという違和感から、「いや、それ違うんじゃない?」と思えるわけです。

もちろん、判断をするにはその機関や専門家が誰とつながっているかというネットワークを見るなど、確認は必要です。しかし、自分で意識的に情報源を吟味しておけば、ノイズが入りづらい環境を作るのに役立つはずです。

EL:なるほど。情報を締め切るだけではなく、情報を取り入れる際に比較検討できるように入口を作っておくことが大切になってくるのですね。

折田教授:そういうことです。もし炎上している話題に対して意見を言って、反論や攻撃を受けたら嫌ですし、人間ですから傷つきたくないと思うのも当然です。ただ、自分の意見を完全に押し殺してしまうのも危険なのです。

意見を発信しなくなる人が増えれば、何かの話題がネットで取り上げられたり炎上した時に、特定の主張だけが正しく見えてしまいます。実際、炎上を起こしている人は全体の1%程度という研究があり、ごく少数の人がきっかけを作っています。それでも攻撃的な意見や行為は目立ちますし、反論が怖いからといって何も意見を出さなければ、皆がそう思っているように感じてしまう。一方的な誹謗中傷などもそうですし、世の中の意見が割れそうな話もそうです。たとえば、不買運動が起きると「これ絶対買わないようにしよう」となりますよね。そこで「いや、それちょっとおかしいよ」と誰も言わなければ、世間の誰もがそう思っているように見えるわけです。

そうならないためにも、個人が意見を言える環境も大切にして欲しいと思います。

企業の立場からSNSの運用にあたって注意すべきこと

EL:ありがとうございます。炎上リスクに関連して、起業家の方や経営者の視点から注意すべき点についても教えていただけますか?

折田教授:起業をお考えの方は、SNSを個人で使うのか組織で使うのか、何のために使うのかを明確にした上で、運用にあたってのソーシャルメディアポリシーを作っておくべきでしょう。

皆さん日常的にSNSを使って慣れているので、とりあえず使ってみよう、ということになりがちです。しかしSNSもメディアの1つですから、位置付けを決めておかないと危険な場面も多いと思います。

まず個人で使う場合も、公式アカウントとして代表が使うのか、役職者が使うのか。会社としてのアカウントなのか、このあたりを明確にすべきです。そして、組織アカウントの場合は1人で運用するのではなく、複数の人の目が入る体制を作った方が安全です。1人で運用していると担当者の性格や癖が出ますし、誤爆のリスクも高くなります。アナウンスのみという場合は別として、ある程度メッセージを発信したり、アカウントとして個性や特徴を出していくのであれば、複数人で運用する体制がよいでしょう。

EL:大変参考になります。ソーシャルメディアポリシーに関しては、何を盛り込むべきでしょうか?

折田教授:個人と組織をどう位置付けるか、というところは必ず入れるべきだと思います。

書いたものが万一炎上した時に、組織にどれくらい影響するか。発言や見解を会社の立場として出すのか、会社と関係があるかどうかは明確にしておいた方が良いですね。私の場合、Twitterは本名でやっていますが、プロフィールには関東学院大学の教授だということも書いた上で「個人的な見解であって所属組織を代弁するものではありません」という一文を入れています。これは大学のガイドラインに従っているためです。他にも大学の守秘義務に関すること、学生に関することは一切発信しない、といったこともですね。このように、個人のアカウントであれば企業や組織との関連の有無を明示しておくことは大切です。

また、組織名を記載する場合、プロフィールに書いているか、アカウントの名前に入れているかでも印象は大きく変わります。名前が本名でプロフィールに「◯◯会社」と社名が入っている場合と、アカウント名に「◯◯会社CEO」と入っているのでは、インパクトが全く違います。もちろん、業種や職種によってはアカウント名に所属を入れるメリットもあるでしょうし、組織の看板をどう見せるかはよく考えて決めた方が安全でしょう。

EL:確かにその通りですね。あまり意識しない部分ですが、あらためて考えると名前というのは思っている以上にインパクトがあります。

折田教授:繰り返しになりますが、何のためにSNSを使うかをよく考えることです。

例えば、告知を目的とするアカウントであれば告知だけに絞り、時事問題には触れないようにする。もちろん、時事問題の中でも為替の情報や新技術の発表、自社に関連する出来事などは有りだと思いますが、世の中のニュースにコメントしたりするのは控えた方が無難です。もう少しいろいろ話を広げるのであれば、見解が分かれそうな話題は避けて、季節の話などを振ってそこから膨らませるなどの工夫がいるでしょう。

公式アカウントであれば、「いいね」や「RT(リツイート)」にも重みがあることは理解しておくべきでしょう。

EL:ありがとうございます。最後に、プライバシーの扱いやSNSでの発言に関して読者の方へメッセージをお願いできますか?

折田教授:プライバシーは、最初にもお話ししたように広い範囲にわたるものです。SNSで一方で、誰もが「読むだけ」になってしまったら、インターネットの情報の多様性や豊かさが失われてしまいます。自分から情報を発信することについて、慎重でありつつも、決して萎縮しないでいただければと思っています。は、意図しなくても自分や他者のプライバシーを侵害する可能性もあるため、自分について発信する情報を吟味したり、他者の情報を混ぜないように日頃から注意すべきでしょう。


無意識に相手の情報を漏らしてしまい、プライバシー侵害をするリスクがあるというのは誰にでも当てはまることです。

また、フィルターバブルで特定の情報にのみ触れ続けて価値観が凝り固まってしまうことに関しても、知らず知らずのうちに陥る可能性は否めません。

情報の取り扱いに関しては発言内容に気をつけるなど表面的な行いだけでなく、自分自身が情報とどう向き合うか、が重要になりますね。

(取材・執筆・編集/エモーショナルリンク合同会社)

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